L.S. Lowry, Street Scene
L.S.ラウリー《街の光景》
この短いシリーズで取り上げてきたテーマは、改めて述べれば、我々の生活が企業、とりわけ大工場で生産された製品に大きく依存してきたことをいくつかの例示を上げながら回顧し、素描してみようということを目指してきた。それ自体、とてつもなく大きなテーマであることは承知の上でのことである*1。思いついたのは、3世紀近い年月の断片が、ふと見た夢をよぎったからであった。どこかで「タイムマシン」が動いたのだろう。
産業革命がイギリスに生まれてから、すでに3世紀を経過した。思えば、現代に生きる人間は、生産者、消費者としての一翼を担い、多かれ少なかれ工場とともに生きてきた。
この過程を描くことは、それ自体壮大なテーマであり、ブログなどでは到底扱いきれない。一大長編映画でも不可能だろう。しかし、このたびのルノー・日産・三菱自動車の驚愕すべき事件などを目の当たりにして、製造業、とりわけ「大工場の時代」は、今や終わりを告げようとしているのだということを改めて実感した。製造業で働く労働者は、アメリカの例で見ると全雇用者のわずか8%にまで低下している。今後残りうる工場のイメージも大きく変容しつつある。一例をああげれば、ロボットがロボットを作る工場のように、人間は工場の表舞台にはあまり顔を出さない。
次の世代を支える産業は、いかなるものだろうか。AIの将来構想を含めていくつかの輪郭は提示されているが、十分信頼できるものには未だ出会っていない。できることはせいぜいこれまでの人生で見知ったことの断片を、記してみることぐらいだろう。このブログ自体がそうした思いから始まったものでもある。
イギリスが端緒となった繊維工業、蒸気機関などを軸とした第一次産業革命。当時の工場はウイリアム・ブレークが「暗黒の悪魔的工場」’dark satanic mills’ と形容したように、巨大な煙突、黒煙で真っ黒な工場、劣悪な労働環境が思い浮かぶ。チャールズ・ディケンズの描いた世界でもある。ディケンズの小説が今でも人気を失わないのは、彼の生きた時代の様々な場面が、失われることなく今日にも生きているからだろう*2。
こうした工場システムは、綿工業を例にとると、イギリスから海を渡り、アメリカ北東部へ移行し、当初は地域によっては、多くの親たちが自分の娘を働かせたいと思うほどの「叙情的」’lyric’な宿舎、設備と環境を維持していた。その後は移民の流入などもあり、企業間の競争は激化の度を加える。それとともに、労働環境は悪化の一途をたどる。
次の段階では、労働組合が未組織で、生産費の安い原綿産出州の南部へと移る。工場は外観は美しく内部の機械体系も整然としているが、そこで働く労働者は工場町へと隔離され、低賃金、劣悪な条件で働くことになる。巨大な綿工場にとどまらず、それを支える石炭工業などの発展もあった。トランプ大統領などが主張する衰退してしまった石炭産業の再開発などはいかなる意味を持つのか。こうした大きな歴史の流れの一こまとして見る必要がある。
過去2世紀についてみれば、Homestead, River Rouge, そして最近ではFoxconnなどの著名大工場が作り出した大争議、劣悪な労働、環境汚染など様々な問題が思い浮かぶ。労働組合、児童労働、労働法制の展開などへ視野は拡大する。
日本の台頭、中国や東南アジアなどへの移転の過程は未だに進行中ではある。しかし、インターネットの驚異的な発展に見るように、世界を動かす産業は全く新しい様相を呈している。直近のカルロス・ゴーンの強欲な事件などを見ると、資本主義自体が崩壊の淵にあるようにも思える。
「第4次産業革命」と言われる技術革新の世界がいかなる姿を呈するか、若い世代の目には何が見えつつあるのだろうか。
続く
*1 幸い、いくつかの力作が出ている。例えば、下掲の研究書は主としてアメリカを舞台とした大工場を例にしているが、よくまとめられた良書である。
Joshua B. Freeman, BEHEMOTH: A HISTORY OF THE FACTORY AND THE MAKING OF THE MODERN WORLD, New York: H.B. Norton, 2018.
*2 シネマ『Merry Christmas ! ロンドンに奇跡を起こした男』上映中
哀悼:
K.K.先生のご逝去を心からお悔やみ申し上げます。