ほぼ同時代、同上地域の写真。今では地域の絵葉書として販売され、コレクターが多い。
L.S.Lowry, Early Morning, 1954
このブログで話題としてきた画家のひとり、20世紀イギリスの画家L.S.ラウリー(L.S. Lowry, 1887~1976)の評価が急速に高まってきた。
20世紀中頃のイギリス北部の産業革命発祥の地を描き続けた画家L.S.ラウリーはの知名度は、イギリスでも当初はきわめて低かった。中央画壇の地位を誇るロンドンの美術館や画商たちは概してこの画家を、北部マンチェスターの地方画家としか認めていなかった。しかし、長らく忘れられていたり、注目されなかった画家や作品がなにかのきっかけで急に発見されたり、評価が改まることはしばしばある。
テートも認める
L.S.ラウリーの評価が高まった要因のひとつは、2013年6月から10月にかけて、ロンドンのテート・ブリテンで開催された企画展だった。この時期、デートの誇る作品の多くが内外の美術館に貸し出されていて、運が良かったこともあった。いずれにせよ、この企画展を機にL.S.ラウリーへの注目度は次第に高まり、イギリス全土、そして海を越えてアメリカへも及んだ。過去100年近く、イギリスの美術でアメリカ人にアッピールした画家は数少なかった。フランス画家ピエール・ボナール Pierre Bonnard(1867–1947)の影響を受けたウォルター・シッカート Walter Sickert (1860–1942)などは、その少ないうちのひとりだろう。
筆者にとっては、このユニークな画家の作品に触れた契機となったのは、1984年北部サンダーランドでの日産自動車工場の建設当時、イギリス人研究者との現地調査を行ったことだった。現地でのインタヴューなどの合間にマンチェスターなどを訪れた時だった。ダーラムの大学に勤めていた友人の家には、この画家のコピーが掛かっていた。
L.S.ラウリーはマンチェスター西部ストレッドフォードに生まれ、生涯をその地域で過ごした。産業革命発祥の地の光景を一貫して描いたイギリスでほとんど唯一の画家であった。ラウリーは他の画家たちが制作の対象とは考えなかった煤煙に汚れた工業地帯、煙突の乱立する風景、混雑する工場街、そこに暮らす人々の日常、喜怒哀楽などを独特な画風で直截に描いた。特に1920年代、1930年代の光景は暗く、陰鬱な感じを受ける。しかし、見慣れてくると、この画家がいかに故郷、そしてその地で働く人々の生活を愛し、重視していたかがわかる。
L.S. ラウリーは煙突からのばい煙などで汚れた工場地帯を描いたばかりでなく、そこに住む人々のあらゆる場面を画題にとりあげ、工業地域の記録者のような存在となっていた。この画家の作品、当初は稚拙な作品と受け取られる方もおられるかもしれない。しかし、見慣れてくると、写真では捉えがたい地域の人々の日常の陰影が次第に伝わってくる。時代を超えて生き残る稀有な画家のひとりであることはほぼ確かなことだろう。The Economist誌の最近の表紙( UK edition) では、逆にL.S.ラウリーの作品に発想の源を得て、コロナ問題に揺れる現代イギリスをイメージしようとする試みがなされている。イギリス国内で発展が遅れ、忘れられてきた地域の振興政策を扱う特集テーマだ。大変興味深いが、現代産業社会をL.S.ラウリーのレヴェルでイメージし、描くことは至難なようだ。この画家の作品をある程度見慣れないと、テーマのイメージが湧かないかもしれない。
画家の生涯で1945年まで3度の個展開催の機会はあったが、おおきな注目を集めるには至らなかった。しかし、その過程で1955年にロイヤル・アカデミーの準会員、そしてその後会員に選ばれたことを、画家は大きな光栄と思っていた。晩年は仕事も収入も多くなり、恵まれた生活であったが、生涯独身、外国にも旅することなく、地元のマンチェスター近傍の工業都市を描き続けた。L.S.ラウリーが残した多くの作品を改めて見ると、資本主義が生まれた地の原風景が、写真よりもはるかに深い印象をもって今に伝えてくる。
専門書表紙に使われたL.S.ラウリーの作品《早朝》Early Morning, 1954,details
*Tim Rogan, The Moral Economists: R.H. Tawney, Karl Polanyi, E.P.Thompson, and the Critique of Capitalism, Princeton: Princeton University Press, 2007
L.S. Lowry, An Industrial Town, 1944, part
新型コロナウイルス(COVID-19)が世界へ持ち込んだ衝撃は、多くの国が見えない敵との厳しい戦争と受けとっている。最も死者の多いアメリカの場合、死者は62,850人(2020年5月1日時点)に達し、9年間に及んだヴェトナム戦争(1964~1975年)での死者数58,220人を越えている。戦争に例えることは適当ではないとの批判もあるが、極めて厳しい事態であることは疑いない。
二つの世界大戦
前回、F.D.ローズヴェルトが「大恐慌」からの脱却に懸命だった1939年9月1日、ドイツと独立スロバキアの同盟がポーランドに進攻したことで、戦争状態となり、イギリス及びフランスが宣戦布告したことで第二次世界大戦の勃発となった。9月17日にはソ連もポーランドに侵攻した。F.D.ローズヴェルトが大恐慌に対する政策手段として企図したニューディールは予期せざる莫大な軍需の発生によって、強硬克服の政策としての民需の独立した効果を見定めることはできなくなった。しかし、20世紀は二つの世界大戦を経験したことで、「危機の世紀」として、人類の歴史に刻み込まれた。
そして21世紀に入るや、9.11、3.11、リーマンショックなどに続き、新型コロナウイルスの世界的蔓延を迎えた。
COVIT-19が変える産業と社会
新型コロナウイルス蔓延の結末が見えていない段階で、すでに「コロナ後の世界」がいかなるものになるか、見取り図を期待する動きが始まっている。日本では当面は緊急事態宣言がいかなる形で幕を下ろすことができるかに焦点が集まっているが、いずれ同様な議論が活発化するだろう。すでに今世紀に入ってから始まっていた第4次産業革命、Version Four, AI革命など様々なタイトルで呼ばれている新たな産業社会のイメージが、COVIT-19後の世界にどの程度継承されるかという問題にも関わっている。
コロナウイルス後の世界については、感染の収束を待って、これからの検討課題となる。この新型ウイルス蔓延以前に描かれていた世界像やイメージは、そのままではつながらなくなった。それほど大きな衝撃が世界に加えられたことは、さらに言葉を要さないだろう。
この点を多少なりと理解するには、現代の資本主義社会がいかなる特徴を伴って展開してきたかについての検討が欠かせない。しかし、その作業はこの小さなブログの課題ではない。ただ、今後の議論に多少なりと役立つと思われる論点、キーワードについては折に触れて記してみたい。
産業革命を描いた画家
ここでは美術のイメージの力を借りて、第一次産業革命以降、資本主義発展の主流となったイギリスに展開した工業化という変化がもたらした状況を克明に描いたL. S. ラウリーという画家の作品を改めて紹介しておこう。すでにこのブログでもかなり立ち入って紹介をしているが、最近日本でも急速にファンが増えてきたことは、大変嬉しいことだ。作品数が多いので、いずれ日本での企画展も実現する日もあるかもしれない。
ローレンス・スティーヴン・ラウリー Laurence Stephen Lowry (1887年 11月~1976年2月23日 )は、イングランドのストレットフォード(Stretford)に生まれた画家である。その デッサンおよび絵の多くは、英国の マンチェスターのペンドルベリー(Pendlebury)(同地で画家は40年以上にわたって暮らし、創作活動した)、サルフォード(Salford)およびその周辺地域を題材に描いている。
この画家は通常の画家たちが美術制作の対象とみなさなかった工場や炭鉱、そこで働く労働者や家族の日常生活などのあらゆる面を制作対象とした。第一次産業革命(綿織物と蒸気機関が手工業を)および第二次産業革命(電気と石油が大量生産を大きく加速した)の時代がほぼ対象となる。コンピューターが使用され、単純作業を機械化する第三次産業革命は、ラウリーの晩年くらいに動き始めていた。
画家は他に類を見ない独特の絵画製作のスタイルを発展させ、「マッチ棒男」(”matchstick men”)としばしば評される人の姿を描いたことでよく知られている。その画風は一見すると稚拙に見えるが、仔細に見れば地道な努力を重ねた上で体得した、この画家独自のものであることがわかる。ラウリーは、生涯に約1000点の絵と8000点を超えるデッサンを制作した。
ラウリーの作品には、イギリス産業革命発祥の地を中心に、産業革命がいかに自然豊かな農村社会を変貌させたか、産業革命がもたらした変化がいかに大きいかを独特の迫力ある表現で描いている。ラウリーの作品が与える力強いイメージは、写真より迫力がある。見る者に訴える力は大変強い。この画家の描き出した産業の姿、そしてそこで働く労働者、そして家族が日々を過ごす地域社会の喜怒哀楽がラウリー独特の筆使い、彩色で見事に描かれている。産業革命によって土地から切り離され、資本家に雇われ働く以外に生きる道の無くなった労働者の姿が生き生きと描き出される。
ラウリーの作品は、しばしば人間、とりわけ苦難な環境で働き、生きる労働者や家族の日常を描きながら、時に飄々として、ユーモラスな印象を与える。
L.S.Rowry, MAN LYING ON A WALL, 1967
N.B.
ラウリーが残した作品などの文化的な遺産は、サルフォードの「ザ・ラウリー」は、2,000平方メートル (22,000 ft²)の画廊、彼の絵画のうち55点と278点のデッサンなどが納められ、この画家の作品の世界最大の収集・展示場となっている。
その他、ロンドンのテート・ギャラリーは、23点の作品を所有している。サウサンプトン市は『浮き橋』(The Floating Bridge)、『運河橋』(The Canal Bridge)および『工業都市』(An Industrial Town)を所有する。その他ニュージーランドのクライストチャーチ・アート・ギャラリー・テ・プナ・オ・ワイフェトゥ(Christchurch Art Gallery Te Puna o Waiwhetu)なども画家の重要な作品を所蔵している。