時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

最低賃金の役割:アメリカ中間選挙の焦点

2006年11月05日 | 労働の新次元

  アメリカの中間選挙も目前に迫ったが、最大争点のイラク問題を別にして、経済分野では移民問題とともに最低賃金率の引き上げも注目を集めている。とりわけ民主党は連邦最低賃金率の引き上げをかなり重要視している。

  下院民主党の有力議員ナンシー・ポロシは、もし民主党が中間選挙で勝利し、議会のコントロールができれば、彼女は連邦最低賃金を時間当たり$5.15から$7.25へと引き上げる法律を議会活動で公式発言できる100時間以内に実現させたいとしている。他方、州レベルでもオハイオとミズーリを含む6州が、連邦賃率に加算する部分を積み上げる投票を行うと決定している*

  民主党は最低賃金に力を入れることで投票にはずみをつけることができると考えているようだ。イギリス労働党が政権を獲得した時のように、政治的には意味がある戦略である。というのは、多くのアメリカ人は連邦最低賃金率の引き上げに賛成である。ある世論調査では回答者の85%が賛成と回答している。移民問題よりも対立点が少なく、進歩性をアッピールしやすい。

  最低賃金の引き上げには、経済的にも意味あるとする人たちが多い。The Policy Institute (EPI) は、どちらかというと左よりの調査機関だが、5人のノーベル経済学者を含む650人以上の経済学者が賃率引き上げを支持するアッピールに署名した。連邦最低賃金は1997年に引き上げられたのが最後だが、その後実質価値は大きく低下してきた。今は1951年の水準以下である。

  最低賃金という制度は、ともすれば賃金率を上げると、雇用をかなり減少させるのではないかという印象が強いのだが、導入している国の実態を見る限り、その懸念は少ない。それだけに、セフティネットの機能が顕著に弱化している今日、この制度を強化する必要がある。なによりも財政支出を伴わないことが大きな利点となる。

  最低賃金率のある程度の引き上げは、雇用に「少し、あるいはほとんど影響を与えない」が、貧困と戦うには有効であると考える経済学者が多い。しかし、経済学者の間でも必ずしも意見は一致していない。

  初級レベルの経済理論で明らかだが、最低賃金を引き上げると、使用者は雇用を手控える。これが従来から合意があった見方であった。しかし、理論を具体化してゆくにつれて、さまざまな問題が生まれてくる。1990年代には一連の実証研究が行われ、ニュージャージーとペンシルヴァニア2州のファースト・フード店の著名な分析で有名なカードとクルーガー David Card (Berkley) and Alan Kluger (Princeton) は、この合意に挑戦的な結果を示した。言いかえると、ファーストフード店の雇用は、最低賃金引き上げの後、なかば常識となっていた想定とは逆に、現実には増加したとの結果を示した。

  他方、ニューマークとワッシャー David Newmark (Califorunia at Irvine ) and William Wascher (Federal Reserve) は、これとは逆の発見を示した。というわけで、実証研究の結果はどちらが正しいともいえない状況にある。これは、「他の条件が変化しないとすれば」という難しい理論的前提、標本の選び方、理論モデルと現実との関係など、多くの難しい問題が含まれているためだが、「常識的な判断」に従えば、よほど大きな引き上げをしないかぎり、最低賃金の現状程度の引き上げでは、雇用にはほとんど影響しないとみるのが妥当といえよう。

  もう少し経済理論に即していえば、今日の経済学者の合意は、もし影響があるとすれば最低賃金を上げれば、最悪の場合でも少し雇用を減少させる程度であるという範囲に大方収まっている。

  なお、ローレンス・カッツ Lawrence Katz (Harvard) は、上記のEPIのアッピールに署名している一人だが、「ほとんどの合理的に行われた推定では、最低賃金率の引き上げは、ティーンエイジャーについては雇用に小さなマイナス効果がある」としている。この点はイギリスの最低賃金制度導入時に、ひとつの例外措置が講じられた。その他の問題についても、アカデミックな次元では色々と論争はあるが、机上の空論に近く、あまり生産的なものとは思えない。 

  ただ、ほとんどの経済学者が同意することは最低賃金が高くなっても貧困を救済することにはあまり貢献しないということである。

  これにも色々と理由はあるが、主たる理由は最低賃金レベルで働く労働者の多くは真に「貧困者」ではないことである。そして、労働力のわずか5%(約660万人)が最低賃金上昇で直接影響を受けるにすぎない。そして、そのうちの30%はティーンエイジャーであり、かれらの多くは貧しい家庭の成員ではない。

  最低賃金引き上げは貧困者を増やすという計測結果を示した経済学者もいる。この点についても議論は分かれており、要するに貧困減少にはあまり効果がないということである。こうした最低賃金にあまり期待は出来ないが、財政支出を伴わないのだから、セフティ・ネットの一つとして最低賃金率を引き上げよという言い分は十分通りやすい。そして、切れ切れになりそうなセフティ・ネット補修のためにも必要である。

  最低賃金より貧困減少に有効であると考えられる手段は、 いわゆる「マイナスの所得税」earned-income tax credit (EITC) であり、アメリカでは1970年代に導入され、これまで4回、拡張されてきた。

  現在は給付は子供のある家族に焦点が当てられている。単身者はETTCからは得るところが少ない。経済学者の中には最低賃金の上昇とEITCの充実の双方を主張している。しかし、最低賃金と違ってEITCの大きな拡充は納税者の税金と関連するので政治的に簡単ではない。そのため、他の経済学者は次善の策として最低賃金を支持するという筋書きである。

    それにしても、日本では使用者もほとんど答えられないほど複雑化、形骸化
している制度をいつまで続けるつもりなのだろうか。



* 中間選挙に際して、ネバダなど6州は最低賃金の引き上げの可否を問う住民投票を示威し、全州で可決。これらの州では年明け移行、現行比で20-30%前後,最低賃率が引き上げられる。民主党は、今回の圧勝を背景に連邦最低賃金の引き上げを目指す。

Reference
“ A blunt instrument” The Economist 28th 2006

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アメリカ中間選挙と不法移民問題

2006年11月04日 | 移民政策を追って


  アメリカの不法移民問題は、中間選挙の大きな注目点になっている。しかし、対応の仕方いかんでは共和党、民主党あるいは各議員にとって命取りになりかねない微妙な問題である。

  ブッシュ政権としては、当面700マイル(1,125キロ)のフェンスをメキシコ国境全長2,000マイルの中で最も脆弱な部分に設置するメキシコ国境設置法案を成立させて、なんとか選挙前の議会を終了させた。下院(賛成283-反対138)、上院(賛成80-反対19)の差であった。

  国境線に障壁を作る法案は抜け穴が多く、障壁が額面通り建設されるか不明である。ほとんどが11月7日に向けての繕い仕事である。皮肉なことに今年1月に移民政策の大改革を提唱した大統領だが、その実現には民主党が支配する下院の助けが必要になる。

  このブログで追いかけてきたように、これで移民対策が完成したわけではまったくない。すでに国内に居住している1200万人といわれる不法滞在者をどうするか。強硬派が主張するような全員を強制送還するというような手段は、あまりに非現実的で実現の可能性はない。となると、いかなる代替案がありうるか。ブッシュ大統領が提示してきた移民政策の総合的改革プランは、一定の条件を付して段階的に市民権取得への道を与えることである。また、現に農業の収穫、建築、芝生刈り、ベビーシッターなど広範な分野で働き、アメリカの産業にとってもはや欠くことのできない存在になっている彼らにいかなる位置づけをするか。新たなゲスト・アルバイター・プログラムを復活させるか。問題はかなり入り組んでいて、政治的にも扱いにくいところがある。

  障壁を作れば、不法移民はまた別の道を探す。終着点の見えない、いたちごっこである。そうした中でひとつ見えてきたことは、もはや不法移民の多い州が国境近接地域ばかりではなく、全米へと広がりつつある点である。不法滞在者 unauthorized が30万人以上の州はカリフォルニア、アリゾナ、テキサス、フロリダ、ノースカロライナ、ニューヨーク、ニュージャージー、イリノイ8州に達している(Pew Hispanic Center)。国境周辺部から中西部へとじわじわと広がっている。移民の国は新たな段階へ入りつつある。

Reference  
Don’t fence us in The Economist October 21st 2006.

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哀悼ウィリアム・スタイロン

2006年11月03日 | 回想のアメリカ

  ウイリアム・スタイロン William Styron が11月1日亡くなった。享年81歳。深く心に残る作家であった。アメリカという国の複雑さと奥深さ、そのどこかに潜む苦悩と狂気を実感したのも、この作家の作品を通してであった。

 1968年のピュリツアー賞の受賞作『ナット・ターナーの告白』 The Confessions of Nat Turner を読んで以来、スタイロンはアメリカ文学の中では最も好きな作家の一人となった。この作品は文壇の常として、たちまち毀誉褒貶の波にさらされた。スタイロンには、やはり白人の目からであり、真の黒人や南部を描いていないとの厳しい批判もあった。しかし、幾多の批判を超えて、この作品はやはり素晴らしかった。

 一時期、ニューイングランドからアメリカ南部へ移った繊維工業や反労働組合風土の調査をしていたこともあり、しばらくこの作品の世界に没入したこともあった。アメリカの深奥に潜む闇を教えてくれた作品だった。当時は南部を旅すると、とりわけ人種問題については複雑な思いをしたことも多かった。スタイロンの作品には南部に関連した主題が多いが、彼自身は「南部派」と呼ばれることを好まず、舞台は常に「不信と絶望」の現代世界を描いたと述べていた。

 今日までの人生で、スタイロンほど影響を受けた作家はそれほど多くいない。どうしてそれほどまでに強い衝撃を受けたのか、自分でもよくは分からないが、遠因をたどると、子供の頃、母親の書斎にあったハリエット・ストウ夫人の『アンクル・トムズ・ケビン』を読んだ時の衝撃が、スタイロンまでつながっていたような気がする。フォークナーを読んだのは、スタイロンを読んでから後になった。スタイロンの作品は、人種差別やホロコーストなど、きわめて難しい対象へあえて深く切り込んで、傷も露わに問題を提起する。決して読後感はさわやかというわけには行かないが、心の底から揺り動かされる。

 スタイロンの作品はこうしてかなり読んだが、なんといっても『ソフィーの選択』 Sophie's Choiceが与えた衝撃は、近時点ということもあって圧倒的であった。あのソフィーとネイサンがある晴れた日に選んだ破断の時、それと9.11がどういうわけか頭の中で重なってしまった。そのあらましは以前にブログに記した。スタイロンの文学史上の評価などは、まもなく始まるだろう。今はただこの偉大な作家を偲びたい。

 

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ラ・トゥールの「12使徒」シリーズ

2006年11月02日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの書棚

Les Apôtres de Georges de La Tour : Réalités et virtualités (Broché) HERMANN, ÉDITEURS DES SCIENCES ET DES ARTS, 2002.

  ラ・トゥールの現存作品の中で「キリストと12使徒シリーズ」は、やや特異な位置にあることは以前にこのブログで記した。東京の国立西洋美術館が所有する「聖トマス」は、そのうちの一枚である。この12使徒を1人ずつ描いた作品は、今日では世界中に散逸している。使徒の役割からみたら、望ましいのかもしれないが。残念ながら、かつてアルビの大聖堂を飾ったような形では見ることができない。しかしながら、ラ・トゥールに関する研究が進み、これらの作品がいかなる経緯でアルビに集められ、そして散逸していったかについて、次第に背景が明らかになってきた。今回紹介する研究は、文字通りその点に集中している。

  フランスのトゥルーズ・ロートレック美術館 Musée Toulouse-Lautrec は、2枚の真作を含めて、12使徒シリーズの体裁を形だけは整えている。ちなみに、この美術館が保有している真作は、聖小ヤコブSaint Jacques le Mineur と聖ユダ(タダイ)Saint Jude Thaddée の2枚である。

  アルビ・シリーズについては、その概略はすでに記したが、今回紹介する本書は、ラ・トゥールの作品の中で、このシリーズに対象を限定して、最新の研究成果を提示したものである。このシリーズについては、フランス博物館科学研究・修復センターがそのエッセンスをDVD・CDで公開しているが、本書はその印刷版に近い内容である。しかし、DVDには含まれていない細部の情報が記されており、ラ・トゥールの研究者や愛好者にはきわめて貴重な文献である。

  本書の表紙に使われたのは「聖小ヤコブ」(アルビ、トゥルーズ・ロートレック美術館)だが、上記の科学研究・修復センターの主任研究員であるエリザベト・マルタンが明らかにしているように、ラ・トゥールは珍しく人物の位置をキャンバス上で原図より右に移していることがX線写真による調査で明らかにされている。原図は画家によって塗りつぶされていた。

  ラ・トゥールという画家は、キャンバスの上ではほとんど原図を修正することなく、あらかじめ構想を確立した上で、キャンバスに向かっていたことが明らかになっており、「12使徒シリーズ」の中では、この「聖小ヤコブ」だけに配置の移動が行われている。こうしたことが明らかになったのも、x線解析や顔料の化学分析など最新の科学的分析技法が使われるようになってからである。その結果は、ラ・トゥールという謎の多い画家の制作態度を推定するにも多大な貢献をしている。

  とりわけ本書で興味を惹かれたのは、この「使徒シリーズ」が一時はパリにあったこと、なぜアルビに送られ、そして今日のような状況になったかについて、その歴史的背景を知ることができることである。この時代の絵画作品がいかに多くの変転の背景を背負っているか、それを知るだけでも興味が尽きない。


PRÉFACE
Recherche et découverte á propos de Georges de la Tour: les Apôtres d'Albi
JEAN-PIERRE MOHEN

INTRODUCTION
Lectures croisées: science, technique et histoire de l'art
DANIÈLE DEVYNCK

Les Apôtres

Georges de La Tour: une oe uvre en questions
ANNE REINBOLD

Les Apôtres de Georeges de La Tour, de Paris à Albi
JEAN-CLAUDE BOYER

Enquête technique autour des Apôrtes de Georges de La Tour ÉLISABETH MARTIN

La restauration des Apôrtes du musée d'Albi
GENEVIÈVE AITKEN



* C2RMF-Centre de Recherche et de Testauration des Musées de France. (2005). Les Apôtres de George de La Tour: RÉALITÉS ET VIRTUALITÉS. Codex International S.A.R.I.
(日本語版 神戸、クインランド、2005).

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さようなら 祖国ドイツ

2006年11月01日 | 移民の情景

“Auf wiedersehen, Fatherland” 
  
  EUの基軸国であるドイツにおける移民問題は、フランスやイギリスほど大きな注目を集めてこなかった。しかし、ドイツに移民をめぐる問題がないわけではない。実は別の問題が静かに進行していた。

  これまでドイツは、トルコなどからの移民受け入れ国というイメージが強かった。しかし、改めてドイツの受け入れ数と送り出し数の差を見ると、ネットでは送り出しが多くなっているという記事*が目にとまった。   

  北海に面したドイツの港町ブレーマーハーフェンBremerhaven から19世紀には、ドイツ、ロシア、スカンディナビアなどから、7百万人近くが新大陸アメリカなどへ移民していった。私は訪れたことがないが、この港町にある「ドイツ移民センター」には、当時の出港時を体験させるコーナーや移民が目指したアメリカ、ニューヨーク港外のエリス移民管理事務所などの展示があるらしい。当時、出港は移民にとってドイツ国籍を捨てることであり、祖国との永遠の決別を意味していた。   

  しかし、その後かなり長い間、ドイツはトルコなどを中心に移民を磁石のように引きつける国であった。とりわけ「ガストアルバイター」プログラムが機能していた1970年代半ばまでは、多くのトルコ人労働者がドイツへやってきた。その後、移民へのドアは閉じられていったが、ドイツはEU諸国の中でも圧倒的な移民受け入れ国であった。そして1989年のベルリンの壁崩壊は、東西ドイツ間の人の移動を増加させた。荒廃した東ドイツから豊かな西ドイツへ、エスニック・ジャーマンの帰国、ソヴィエットからのユダヤ人の移住などが進んだ。   

  だが、今や流れは逆転している。外国人やエスニック・ジャーマンの入国数は大きく減少し、逆に故国を離れるドイツ人が加速している。2004年だけでも15万人以上のドイツ人が、海外出国の届けを提出した。1884年以降、最大の数である。流出・流入の差でみると、ネットで流出の国となっている。今は出国も航空機や列車になり、かつてのような移民や家族が悲しむ光景もみられない。高い熟練・技能を持った人には、ベルリンだろうが、ミュンヘン、ロンドン、ニューヨーク、どこでも違和感がない。   

  ドイツの政治家はしばらく前まで移民労働者の流入を問題としていたが、いまは流出問題にひそかに悩んでいる。ドイツに魅力を失った若い人が出国する動きが強まっているからである。2006年前半6ヶ月に69,000人のドイツ人が出国、47,000人が戻ってきた。ネットの流出は22,000人である。 心配のし過ぎかもしれないのだが、これから長く続く国力衰退の一歩かもしれない。 

  確かに8200万人の国民からみれば取るに足らない小さな数だが、その背後に「頭脳流出」brain drain という深刻な問題が隠れている。優秀な頭脳の持ち主が海外へ流出する問題である。正確な実態は不明だが、アメリカやスエーデンなどで
brain gain の方が多いというのに、うわさではドイツは流出の方が多いらしい。   

  ひとつの例が挙げられている
。ドイツ医師会によると、12,000人のドイツ人医師が海外、特にイギリス、スイスなどで働いているとのこと。イギリスの医師不足が深刻なことは以前に記したこともある。昨年、アメリカで働くドイツ人医師の数を上回った。そして、同じドイツ語圏のオーストリアが、ドイツ人医師にとって第3位の出稼ぎ先に浮上している。   

  スイスではドイツ人医師が良い仕事を奪っているとの苦情も生まれている。オーストリアでは大学医学部が外国人学生受け入れについて、割り当て枠を導入した。というのも、ドイツ人学生が特にメディカルスクールの入試でよい成績で、オーストリア人学生を抜いてしまうからだ。   

  しかし、ドイツにとって最も深刻な問題は失業が10%を越え、成長率も他のEU諸国より低下してくると、優秀な若者が自国が機会を提供してくれないと思い海外へ流出してしまうことである。若い世代が自国の将来に夢を失うことほど暗いことはない。

  最近はドイツも日本も高度な熟練や専門性を持った人材については、積極的受け入れの方向に動いているが、来て欲しい人材はアメリカなどへ行ってしまう。ドイツの悩みは日本にも共通するところがある。魅力ある国造りはそう簡単ではない。 

Reference
 “Auf wiedersehen, Fatherland”, The Economist October 28th 2006.   


   

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