1976年当時、吉田拓郎の愛車は「黒のホンダ・シビック」だった。それを歌にしたのが、この「僕の車」。詩・曲はもちろん拓郎自身で、アレンジャーは「職権乱用」が話題の松任谷正隆氏である。
拓郎は、その著書「明日に向って走れ」の中で、クルマについてこのように語っている。
「車はやっぱり害だろう。なのにそんな車に俺も乗っている。小室等には怒られそうだが、一人暮らしの俺の、ホンの気ままな世界がそこにあるからなんだ。そう、ホンダ・シビック」と。
この頃のホンダの四輪車はシビックとアコード(共に初代)しかなかったが、何か新しい時代のクルマというイメージに溢れていた。クラウンやセドリックに乗るよりも、この小さなシビックに乗ることの方がカッコいいという、時代の雰囲気が、確かにあったのだ。シビックとアコードが軸だった頃のホンダは本当に輝いていた。
ここ数年くらい、少なくとも日本国内においては、シビックもアコードもホンダのメインストリームではなくなってしまった。それは、スバルがレガシィを大事に育てているのと対照的といえる。私は、心からシビックとアコードの復権を願っている。