読了・壬生義士伝(上)(下)
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浅田次郎、2002、『壬生義士伝(上)(下)』、文春文庫(単行本、2000年、文藝春秋刊)
南部藩脱藩の新選組隊士、吉村貫一郎の生涯について、彼自身の独白とを取り巻く人々の回顧談を含め、描き尽くした。吉村の生涯は、記録としてよく残されていないようで、浅田次郎の本作品のほか、 子母澤寛の「新選組物語」に吉村の最後が記されており、本作の人物像はそれをふまえて創作されているようである。
本作品は、幕末に駆け抜けた新選組隊士・吉村貫一郎の生涯を題材にして、武士道とは何かについて小説の姿をかりて描かれる。武士道はいかに見事に死ぬことであるかと描かれる『葉隠』をふまえ、逆に、「生きるためにひとを切り」、北国の凶作と階級社会の中に生死の境にいる故郷に残した妻子を養うために、死ぬことができずひたすら生き抜こうとする吉村の姿が描かれる。ややもすると、武士道は桜花と同様、散り際の見事さがその焦点とされるのだが、ここで描かれる武士道は違う。吉村は、君に対する忠義だけでではなく、人間の生き方そのものを指す「義」を貫こうとするのだ。それは、妻子に対する愛であり、故郷に対する愛、生涯の友に対する愛である。愛ということばの方が、理解しやすく思えるのだが、本書は「義」ということばで、至上の倫理を描こうとする。
実は、浅田次郎の作品はこれまで読んだことはなく、ひょんな事で書店で手にとって、はまってしまった。眠る前の睡眠薬代わりに読み始めたのだが、悪いことに、それは最悪であった。ついつい、夜更かしをして読むはめになった。
本書で用いられる言葉遣いが盛岡のことばであるかどうかは知らぬが、その方言の響きもふくめ、臨場感あることばのやりとり(本書は、語りことばで描かれる)も吉村の実直な人物の生涯を描くのにふさわしかった。
中井貴一・主演の映画でも知られる。この映画で中井貴一は、第27回日本アカデミー(2003年)の主演男優賞を取った。
南部藩脱藩の新選組隊士、吉村貫一郎の生涯について、彼自身の独白とを取り巻く人々の回顧談を含め、描き尽くした。吉村の生涯は、記録としてよく残されていないようで、浅田次郎の本作品のほか、 子母澤寛の「新選組物語」に吉村の最後が記されており、本作の人物像はそれをふまえて創作されているようである。
本作品は、幕末に駆け抜けた新選組隊士・吉村貫一郎の生涯を題材にして、武士道とは何かについて小説の姿をかりて描かれる。武士道はいかに見事に死ぬことであるかと描かれる『葉隠』をふまえ、逆に、「生きるためにひとを切り」、北国の凶作と階級社会の中に生死の境にいる故郷に残した妻子を養うために、死ぬことができずひたすら生き抜こうとする吉村の姿が描かれる。ややもすると、武士道は桜花と同様、散り際の見事さがその焦点とされるのだが、ここで描かれる武士道は違う。吉村は、君に対する忠義だけでではなく、人間の生き方そのものを指す「義」を貫こうとするのだ。それは、妻子に対する愛であり、故郷に対する愛、生涯の友に対する愛である。愛ということばの方が、理解しやすく思えるのだが、本書は「義」ということばで、至上の倫理を描こうとする。
実は、浅田次郎の作品はこれまで読んだことはなく、ひょんな事で書店で手にとって、はまってしまった。眠る前の睡眠薬代わりに読み始めたのだが、悪いことに、それは最悪であった。ついつい、夜更かしをして読むはめになった。
本書で用いられる言葉遣いが盛岡のことばであるかどうかは知らぬが、その方言の響きもふくめ、臨場感あることばのやりとり(本書は、語りことばで描かれる)も吉村の実直な人物の生涯を描くのにふさわしかった。
中井貴一・主演の映画でも知られる。この映画で中井貴一は、第27回日本アカデミー(2003年)の主演男優賞を取った。
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