アリススプリングスで、「ガーン」列車をみたあと、昼前に空港に行き、メルボルンを経由して17時過ぎ、キャンベラに到着した。
夕食は、3人でシビックの"Happy's Chinese Restaurant"にて。
豚肉いためのレタス包み
シーフードと厚揚げのホットポッド
豚肉の豆豉いため
今日は、アリススプリングスで一日オフ。ひいた鼻風邪もこれで収まろうというものだ。
今日でブッシュ生活も最後ということで、リーダーのおごりで、アリススプリングス一番のレストラン(たぶん!)でのお食事。この店は、ダーウィンにもあって、昔いったことがある。メニューをウェッブサイトから抜き出しておく。
タイ料理ではあるが、いずれも、とんがった辛さはない。
hanuman oysters our signature dish with vivid tastes of lemongrass & sweet basil
south australian calamari grilled, and served with sweet chilli, lemongrass and lime
jasmine rice the essential steamed aromatic rice
green chicken curry classic with sweet basil, coriander & spices
roasted red duck curry in a spiced braise of coconut, sweet basil and kaffir lime
lamb rogan josh slow cooked with fresh tomato, cinnamon, cloves and garam masala
raita a refreshing and soothing yoghurt with diced onion, cucumber, tomato, and cumin
Hanuman, Alice Springs: http://www.hanuman.com.au/
宮部みゆき、2009、『名もなき毒』、光文社カッパノベルズ
最近の無差別殺傷事件やイジメやクレーマーなどを題材にして、平凡な日常がちょっとしたことで破壊されていく様子を描く。
宮部みゆきの結末は、ある種むくわれて結末を迎えるというか、わずかながらも光明が射して終わるので、まだよいとおもえる。とんでもない善人がいて、それが、いろいろ巻き込まれるなかでなんとか生き延びていく。また登場人物のなかで、救いを感じさせる人物が登場する。救いのない状態で読者を放り出さないという意味で、この著者はとてもいいのではないか。
本書の主人公を取り巻く関係は、一見、事件を呼びそうであるのだが、たとえば、結婚した相手の父親が主人公が現在つとめる大会社の会長であるし、結婚相手は妾腹の娘ではある。経済的にも子供にも恵まれていている。しかし、財産争いや会社での権力争いに巻き込まれそうな人物なのだが、本人はいたって、普通にそれを回避している。完全無欠な人物とはいえないものの、破綻がない人物と想像される。彼を取り巻く人物たちは、事件の当事者も含めて、何らかの理由があって問題が生じていることが示唆される。もちろんそのことが悲劇を生むことになるのだが、同時に、そのことは救済の根拠でもある。
「現実は小説よりも奇なり」とはいうものの、最近の現実におこる事件の理解不明さに比べると、救いのない現実に対して、ありそうもない小説世界の方がむしろ「小説は現実よりも奇なり」、つまりは、本書のように光明がさすように思えてしまうのは、実に奇妙なことではある。本書で描かれる唯一理解が苦しいのは狂言回しの「原田いずみ」であろうか。現実世界は「原田いずみ」ばかりといえば、あまりにシニカルであろうか。
2009-08-19 16:50:55 |
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朝食のあと、鉱脈探査のカップルとお別れしたのだが、お土産にとサンプルとしてとってきた赤鉄鉱(ヘマタイト)のかけらをくれた。彼らの仕事がうまくいくことと、アボリジニの未来が結びつくといいのだが。
8時半過ぎに宿を出て、タナマイロードを南下、今日訪問予定のPapunyaに向けて左折。まもなく、右手に5頭のラクダの群れを見かける。最近、野生化したラクダが増えすぎて環境を破壊するというのでラクダを殺し始めたそうだ。ヒトコブラクダは、道路が整備されて人やものの輸送がトラックによって行われるまで、アフガニスタンから来たラクダ使いによって使役されていた。彼らが放たれて野生化して増え始めたのだ。
PapunyaではPapunya Tjupiというアートセンターを訪ねる。一年ぶりで、彼らの建物は移動して、大きなものにかわっていた。
昼食をストアで購入して、町を出る。引き返して、Haast Bras方面に向かい、ナマチラ・ロードへとむかう。このルートの景観はすばらしい。
16時頃帰着。先日と同じ宿に宿泊する。早速洗濯。
18時半頃、モールの東のはずれの「Oscar's」で夕食。よくにぎわっている。
四種のメインをとって、四人で共有した。
フェトチーネ、南瓜のクリームソース
シーザーサラダ
カンガルーステーキ
海洋性マスのオーブン焼き
前夜、急に温度が下がったせいか、鼻風邪を引いてしまい、同僚に葛根湯をもらう。日中と夜間の寒暖の差が大きく、なかなかつらいものがある。
Tilmouth Wellから1時間ほど走ったところにあるアボリジニのコミュニティ、Yuendemuに出かけた。いくつかの組織を回り、彼らのおかれている現状を聞く。また、7歳のときに、家族から引き離されて、遥か北方、ダーウィン沖合のメルビル島のミッションに送られた老人の話を聞くことができた。
16時過ぎ、Tilmouth Wellの宿に帰着。17時過ぎからビールを飲み初めて、そのまま、夕食になだれ込む。風邪に負けないようにと、肉を食べることにする(もう手遅れかもしれないが、悪化はしないだろう)
スコッチフィレステーキとチップス&サラダ
エド・マクベイン編、2009、『十の罪業<Red>』、創元推理文庫
86分署シリーズのエド・マクベインが編んだ中編ミステリー集。
本書の編集を終えて出版を待たずに亡くなったエド・マクベインの最後の86分署シリーズとなった「憎悪」、ドナルド・ウェストレイクのジョン・ドートマンダー・シリーズものの「金は金なり」、ローレンス・ブロックの殺し屋ケラー・シリーズの「ケラーの適応能力」もおもしろいのだが、ジョン・ファリスの「ランサムの女たち」という謎の画家ランサムとモデルになった女性の謎の死や顔の傷についての謎解きの一作とシャーリン・マクラムの「復活」というアメリカの黒人奴隷解放期に題材をとった作品がおもしろかった。
2009-08-16 23:47:59 |
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10時過ぎに、荷物をあずけて宿を出発。アリススプリングスのストレロセンターに行くも日曜のため、11時オープンということで、モールに帰る。同僚たちを落として、車の整備(ウィンカーの球切れ)のためにヨーロッパカーを探すが、空港にしかないことがわかり、断念。そのままいくことにする。
トッド・モールのゴンドワナ・ギャラリーにいく。ここは、選び抜かれたアボリジニ絵画の作品がある。昼食はモールのバーガー屋でバーガーを食う。
13時半頃、出発して、スチュアートハイウェイを北上、タナマイロードにはいって、15時15分頃ティルマウスに到着する。快調なドライブではあったが、昨年とは違い、道ばたに交通事故にあったカンガルーがいなかったのは、なぜだろう。また、雲が多く、昨年とは大違い。非常に暑い。しかも、湿気を感じる。
17時半頃から同僚とビールを飲みはじめる。
18時すぎ、宿のレストランで夕食。シーフードバスケット&チップス+サラダをとる。ここの料理は、まあ、ロードハウスにしては、まだましというべきか。
夕食時に、鉱山会社の鉱脈探査の仕事をしているカップルが話しかけてきた。その奥さんが、日本人だった。かれらは、パースをベースにして、中央砂漠で仕事をしている。彼らは、露岩の赤鉄鉱(ヘマタイト)を探しているのだそうだ。磁鉄鉱(マグネタイト)でもよいが、鉄の含有量が大きく違うのだそうだ。
彼らの仕事は、なかなか厳しい。あらかじめ想定されている場所近くに車を止めて、日中暑いさなかをひたすら歩いて、露岩を探し、鉱石がどちらにどれぐらいのびているのかを探査するのだそうだ。いずれは、ボーリングをするらしいが、現時点では、スコップで穴を掘って、どのぐらいの深さに鉱脈が続くのかを探査していくという。
地球上に酸素がほとんどなかったとき、ストロマトライトが酸素を作り出し、地球の大気組成を大きくかえた。地球上にあった多くの物質が酸化する訳だが、オーストラリアの赤い大地や豊富な鉄鉱石の存在は、これに関わる。壮大な地球史の一端をかいま見ることができる。
午後、ダーウィンからアリススプリングスに移動してきた。ダーウィンでは季節外れに湿度が上がって蒸し暑かった。ここアリススプリングスはそれにひきかえ、乾燥ぶりがすごい。話すときに口を開くとそのなかから水分が蒸発して気化熱で体温が奪われるような気がする。
夕食は、トッド・モール近くの「Keller's」というレストラン(http://www.kellers.com.au)。ここの皿はたくさん盛られているのと、それほど空腹でないということもあって、アントレ2品、メイン2品ということにする。
三種のパテとピタ(オリーブのペスト、ピメント、ヨーグルトと野菜)
ソーセージサラダ(ソーセージの入ったコールスローといったところ)
子牛肉スライスとフマス(冷製)
鶏肉とアボカドのオレンジソース煮
明日から2晩、ネットにアクセスのできないところに出かける。
昨日、ダーウィンに戻ってきて、インターネットへのアクセスが容易になりました。過去の欠損している部分、随時追加していきます。
2009-08-15 08:19:33 |
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昼前に、カカドゥからダーウィンの友人宅にかえってきた。
午後、用を済ませて、夜、NT美術博物館で開催される第26回アボリジナル・アート・アワードのオープニングにいく。
仲間のうち二人は友人宅のところには行かないというので、ホテルに送る。今日の夕食は、4人(ダーウィンの友人2人をふくむ)。
麻婆豆腐(家主の友人が猫用に買っている牛ミンチを横取りして使う。また、甜麺醤、豆板醤、紹興酒などがないので、味噌と日本酒を使う。ごま油でショウガとにんにくのみじん切り、赤唐辛子のみじん切りをいためる。牛ミンチを加える。青ねぎの小口切りをくわえる。豆腐をさいの目に切って加える。コーンスターチでとろみをつける)
白身魚と白菜の黒酢炒め(家主の友人が買っておいてくれた白身魚の切り身を大振りのさいの目に切って塩を振っておく。小麦をはたいて、多目のオリーブオイルで炒める様に加熱。火が通ったところで皿にとっておく。ごま油にショウガとにんにくのみじん切り、赤唐辛子みじん切りを加えて炒め、白菜を加えていためてしんなりしたところで、白身魚を加えて身を崩さないようにいためる。黒酢と塩で味を調える)
青菜のオイスターソース炒め(青菜をごま油でいためて、オイスターソースとしょうゆで味を調える)
食後には、友人作のフルーツコンポートとヨーグルト
23時過ぎに宿のホテルに帰る。
7時15分頃起床、8時にレストランで、ホットブレクファスト。
9時過ぎに、出発。オビリーロックを見学する。ジャビルに帰り昼食。13時過ぎにパークセンターに行きビデオと展示をみる。14時半、ヌーランジーロックを見学。
16時過ぎにジャビルに帰り、明朝の朝食のパンなどを買う。16時45分頃帰着。
いずれのロックアートサイトも団体(オーストラリア人ではなくヨーロッパ人が多いような印象)でにぎわっていて、以前よりも観光客が増えているとおもわれる。われわれの宿泊している宿もそうだ。
昼のジャビルで、携帯メールを送る。ローミングがどういう訳か、ヴォーダフォンのみ。Telstraのローミングがかからない。なぜだろう?
この謎は、後に解けるのだが、アーネムランドを含む新規に携帯電話のシステムが導入された場所では、Telstra(オーストラリアのNTTのような会社)が日本でもこれから導入が計画されている最新のNextGが導入されていて、持参している3Gではアクセスができない、ということらしい。
16時半頃からバーでビールを飲みだして、つまみにピーナッツやポテトチップスを食べていたら、そろそろ食べようということになって、そのまま夕食モードに突入。今夜は、3皿頼んでシェアする。チキンを乗せたシーザーサラダ。エビカレー(タイ風)とバラマンディのフィッシュアンドチップス。結構おいしく、前夜のバフェ形式のレストランよりもこちらの方がよいぐらいだ。ここでワインを2本開けて、食事を終わり、ワインをさらに一本持ち帰った。
午前便でガリウィンクからマニングリダへと飛ぶ。
久しぶりのガリウィンクでは、知り合いや「親類」にたくさんあうことができて、うれしかった。また、この20年間の変化には驚かされた。
11時15分頃、無事に、マニングリダに到着。荷物がでてくる頃に、Nさんが車を持ってきてくれた。タイヤも直してくれた。オフィスにいって、マニングリダでの支払いをおえる。
マニングリダを出発して、テーブルヒルを越えてしばらくしたところからニンブワにかけて森が非常にあれている場所があったが、これも、2年ほど前のサイクロンの影響とおもわれる。のちに、夕食の後、レストラン脇の芝生でカカドゥ国立公園のレンジャーがプロジェクターで映しながら説明していて確認できた。上空からの撮影では、直後にとったのか、緑が全くなく累々と倒木が倒れていて、すさまじい状況であった。
この被害をあたえた同じサイクロン(台風)かどうか(また、前日に記したエルコ島のそれも)わからないが、以下のブログに記載される写真にある巨大な「眼」は、その勢力が強烈であることがわかる。「モニカ」となづけられた2006年4月のサイクロンは、カテゴリー5(最大級の警戒水準)で、最低気圧892Mb、最大風速が165mph(多分、これは、マイル換算だから、キロに変換すると265.5キロというとんでもない速度)であったことがわかる。こうしたサイクロンは、直近のカーペンタリア湾もしくはニューギニアとの間のアラフラ海で発生するので、勢力を保ったまま、アーネムランドを直撃することになる。これまで、あまり認識していなかったが、植生の更新に対する災害の影響というのも大きいことがわかる。また、ここに居住している人びとへの被害は想像がつかない。
私が今回エルコ島で聞いた話では、人的被害はゼロであったとのことだが。
http://www.wunderground.com/blog/JeffMasters/comment.html?entrynum=343
順調にドライブができて、15時過ぎに(マニングリダを出発したのが13時近かかったので所要時間は、2時間半ぐらいのものか)オーエンペリ(グンバルニャ)のインジャラク・アートセンターに到着。旧知のアーティストは、二人しか顔見知りのものがいなかった。到着したタイミングでは、2台ツーリストの車が止まっていて、相変わらず繁盛しているようである。
夕食は、宿泊するオーロラ・リゾート(かつてのサウスアリゲーター・モーターイン)のオンサイトレストラン。バフェスタイルで、自由に選ぶ。味は全く期待できないものの、久しぶりに外飯を食べた。周りは、家族やカップルとおぼしき人々がテーブルを囲んでいる。バーでビールを一杯飲んでから、レストランで赤ワインを一本。さらに部屋に帰って、ここでも赤ワインを一本あけた。10日間アルコールを抜いたことになるのだが・・・、これで、すっかり取り戻しそうだ。
9時半にトヨタのトルーパーでがBさんがドライバーがやってくる。かれは、当地での私の兄弟。まずは、ガリウィンクにショッピングにいく。10時過ぎ、出発。
途中、目的地のエルコ島の北半分は、倒木が多く、森が大変あれた状態。マニングリダへの途中でもそのようなところがあったが、Bさんによると、2年ほど前のサイクロン(台風)でこのあたりの木々はすっかりとばされてしまい、大きな木は立ち枯れてしまったのだという。
11時過ぎ、町からだいたい50分ぐらいで、北端のあうとステーションに到着する。まず挨拶にいったのは、Gさんという、私の一族の女性とはいえ、彼らの流儀では私は口をきけない。彼女は、当地に設置された無線LANのインターネット施設を通じてダーリンにあるチャールズダーウィン大学の「Teaching From Country」というプロジェクトに協力している。彼女の任務は、当地から彼らの話すヨロンゴ語をダーウィンの教室にいる学生にとかれらの生活について、スカイプをつうじて情報発信しているらしい。
私が、このあたりにきたのは20年前で、当時は、アウトステーションと町の間はツーウェイラジオという無線通信(双方向ではない)が行われ、町からはわずかな回線がオーストラリアの全国の電話回線に接続されていた。
現在は、携帯のNextGという規格で通信が可能である。この規格は、日本でのサービスは2011年に開始が予告されている。
なんという、変化。驚くべきである。
Teaching From Country: CDU: http://www.cdu.edu.au/tfc
また、ここには、オーストラリアキリスト教学校協会が設立した学校が設けられていて、白人の教員が4-5名、アボリジニの教員が1名いる。2年ほど前に施設の骨格を作り、現在も追加工事が行われる。完成時には教員宿泊棟3棟、教室3棟、生徒用宿泊棟、キッチン、ショップができ、風力発電施設、ディーゼル発電施設を持つようになるという。現在も、教員用生徒用宿泊施設、教室、キッチン、ショップ、ディーゼル発電施設が完成している。付近の生徒がこの施設に宿泊して学ぶことになる。
頭がくらくらする思いで宿泊場所に帰着。
夕食は、たき火を使ってフライパンでステーキを焼く。付け野菜としてなすとタマネギとモヤシの炒め物。
7時過ぎに起きだす。朝食は、前夜の残りの野菜とロングライスを使って焼きめしを作る。
まちでレンタカーを借りて島の端まで行こうともくろんだが、四駆ではない小さなセダンしかなく、断念する。
今は亡きGDさんの墓に詣でる。とても立派な墓で、彼のことが顕彰されている。2002年に亡くなったとのこと。そんなに前のことだったんだと時間の流れを感じる。
ひさしぶりに、聖書翻訳センターの友人に頼んで、インターネットを使わせてもらう。このまえでGさんの奥さんのGさんとあう。彼女は、当地では私の母にあたる。
アウトステーション支援センターのオフィスで当地での兄にあたるTMに再会する。懐かしがってはくれるが、たばこと金(50ドルを渡す)を要求される。しょうがない。
また、Bさんという(センターのCEO付きの女性)が、夕方のCEOとのミーティングと翌日のコミュニティバス(運転手つきのトヨタ・トルーパーで運転手は、私の兄弟のBさん)の予定も決めてくれる。
当地の学校は古い建物を拡張して新しくペイントを塗り変えていて、ずいぶん様子が違う。アウトステーション教育のセクションで、説明を受けた。また工作室の担当教員は、特に木工について、バージの木製パレットを再利用して机やいすを作ること、男子生徒よりも女子生徒の方が覚えが早いことなどを熱っぽく語る。
16時過ぎからCEOのRMさんににインタビュー。かれは、数年前、当地の人びとの支援を志してやってきた。要領よく支援システムについて話をしてくれる。こういう熱意ある人が長く滞在してくれるといいのだけれど・・・。
儀礼が町のなかの小さな広場であるので、簡単にすまそうと、テイクアウェイでサンドイッチとフィッシュ&チップスを買ってきて夕食をすますことにする、親戚筋の家の裏に敷物を敷いてくれたので、その上に座って食事をとりながら、ながめる。近くに寄って写真も撮る。この儀礼は、これからしばらく続くらしい。
儀礼の終了後、送ってもらって、宿泊地に帰る。立ち寄ったフィジー人の電気工事人がおみやげに持ってきたキャッサバとRさんの作った(Mさんも焼いたのだが)ダンパ(小麦粉に粉ミルクを加えてつくった無発酵パンで、たき火のおき火と焼けた砂をつかって焼く)を食べて、結構腹が膨れる。
子供たち4人は埋葬儀礼をまねてごっこあそびをやっていて、おとなたちも大笑い。よくみてまねていると。
夜遅くになってDさんがが敷地にはいってきたワラビーをとるべく鉄砲を撃つが、はずす(というか、見間違えて、木をうったらしい)。
7時頃に目が覚める。気温はかなり下がり、寝袋がちょうどよかった。宿泊地の地形は10メートルほどの海岸段丘の上にあたり、海風がよく通るので結構温度が下がる。
昼前から給油のためにガリウィンクに出かけたが、売り切れだったとのことで、あったDさんが何とかするから戻っていろという。しばらくすると、Dさんは帰ってきて、若者にジョウゴをつかってすこし給油させ、残りをタンクのままトヨタ・トルーパーにのせた。まちにいって案内をしてくれる男をみつけ、5人ほどの子供たちも同行して出発。
まず、テンマイルビーチの先にいき、引き返してアウトステーションのひとつに以降としたが、出かけているらしく、道路が入り口で閉鎖されていた。近くのマングローブが繁る河口(たぶん、第二クリークと呼ぶのだろう)をみて、戻ってきた。Aストアで夕食の買い物をする。
Dさんが焼きそばを作れという。タマネギ、ピーマン、モヤシでつくった。味付けは、ショウガとニンニク、塩胡椒とオイスターソース、醤油。
我々の方は、ロングライスを炊いて、エビチリソースを作ろうということになった。午後の買い物でゆでた有頭エビの冷凍があったのでこれを使った。ショウガとニンニク、ごま油でタマネギ、ピーマンをいため、蒜蓉辣椒醤、蒜蓉豆鼓醤、醤油、トマトソースで味を調える。頭と殻をとったエビを加えて炒める。モヤシ、レタスを加えてできあがり。エビチリとはほど遠い仕上がり。