
今日は、マニングリダからガリウィンクへ空路移動する。それで、朝8時過ぎから帰り支度を始めたところ、左後輪がパンクしていることに気がついた。
タイヤ交換ということになったが、ジャッキの付属品が不足していて、ジャッキポイントにジャッキをおくと、届かない。このままで走ろうと決断するが、仲間のひとりが近くにすんで調査を始めようとしているH君というオーストラリア国立大学の学生をつれてきて助けてもらってタイヤを交換する。
空港に到着したのが、9時半。車を預け、タイヤの修理も頼む。ちゃんとやってくれるとよいのだが。到着したのが遅いと文句を言われつつ、なんとかチェックインして搭乗。しかし、荷物が二つまだ乗っていないことに気がついて、クレーム。何とか乗せてもらう。
予定通りに10時発で、10時25分にガリウィンク到着。旧知の人びとの迎えを受ける。私にとっては、当地は実は20年ぶりの訪問で、いろいろ驚くことしきりである。マイクロバスに荷物を載せて、町の近くのアウトステーションに移動(歩くと30分ぐらいらしい)。ここの一軒の2部屋を借りてしばらく過ごす。発電機が動いていて、電気が使えるし、トイレも何カ所もある。
12時過ぎに買い物しに町に行こうと車に乗せてもらって出かける。町の様子がかなり変わっていてちょっと驚く。スーパーは週7日9時5時で開いているとのこと。もちろんPOSシステムを使っている。もう一軒店があって、ここは台湾人が開いたらしい。雑貨中心のジェネラルストアとテイクアウェイという感じだ。
宿泊地に戻って13時半ごろ昼食。しばらくたって岩ガキを取りに行くというのでついていく、となりのあうとステーションの先の岩場で、岩ガキと巻貝をとる。15時半頃、めんどくさくなって、浜を歩いて宿泊地にもどってくる。
夕食はカレーをつくることにして、ご飯も炊く。
日本式のカレー(ステーキ肉を大きめの賽の目に切って、タマネギ、人参、ジャガイモを水煮して、ルーを加えて溶かす。仕上げに一口に切ったピーマン)
ご飯(鍋でたくご飯。水加減としっかりふたのできる鍋さえあれば何とかなる。水加減は、わたしの場合、洗った米に手を広げてのせて手首より一センチぐらい下ぐらいがちょうどよい)
それ以外に、ここの人たちがいろいろと持ってきてくれる。まずは、食事を作る前に、焼き岩ガキ、巻き貝(にしの仲間)の焼いたものとゆでたもの。ワラビー、ブロルガという鶴の仲間の肉。

マニングリダ地域のアウトステーションを今日は、西部地区をまわる。往復200キロばかり。今日の道路の大半はドラマはなく、順調に飛ばした。しかし、一部路線は、幹線沿いに儀礼が行われていて、それを回避しなければならず、若干悪路が入った。同行したモリスがなかなかお茶目で楽しく有意義であったように思う。
夕食は、同僚と分担して作った。
サラダ(レタス、トマト、マッシュルーム。ドレッシングにタイ風のスイートチリを加えるのがミソだとのこと)
スコッチフィレステーキ(スコッチフィレに塩胡椒して、ニンニクスライスを乗せてしばらくおき、オリーブオイルで焼く)
ミートソースのパスタ(ニンニクみじん切り、タマネギ、マッシュルーム、残っていたタケノコの水煮、生ローズマリーを刻んで加える。牛ミンチを加えて炒める。ホールトマトのダイス切りの缶詰をあけて加える。塩胡椒。辛みがなかったので蒜蓉辣椒醤を加える。ショートパスタをアルデンテにゆでて、ミートソースをかけて食す)
今日は、マニングリダのアウトステーション数カ所を回る。200キロほど、ユーカリの疎林や干上がった湿地帯を走り回る。
アウトステーションはマイクロウェーブでネットワークされるだけでなく、そのタワーには携帯のアンテナがたっていて、携帯電話も使うことができる。ただし、サービスしているのはTelstraだけで、NextGという規格のもの(これは、後にダーウィンにかえって判明する)である。日本の携帯はまだ、この規格に対応できるものはないようだ。
夕食は、同僚と相談して、酢豚、ナスとマッシュルームの炒め物、焼きめしをつくることする。
酢豚(タマネギ、ニンジン、ピーマン、セロリを一口に切っておく。豚リブステーキ肉を一口に切っておく。ごま油で豚肉とニンニクをいためる。続いて、野菜を入れる。蒜蓉豆鼓醤、オイスターソース、黒酢、水を加えて味を調える。火が通るまでにる)
ナスとマッシュルームの醤油炒め(ショウガとニンニクを炒める。ナスとマッシュルームを加え、醤油で味を調える)
焼きめし(ニンジン、ピーマン、タマネギを小さく切って、ショウガとニンニクとともに炒める。前夜の残りご飯を加えて炒める。塩胡椒、醤油ひと掛けで味を調える
今日は、一日マニングリダでの視察とインタビューですごす。ここ5年ほど、訪問できなかったのだが、この間も、大きく変わっている。訪問先の組織も大幅に事業拡大を進めている。オーストラリア連邦政府の政策転換がどのように現地に影響したのかを知るのが目的だが、少なくとも、ざっとみた感じでは、やり過ごしているように見える。政策転換の影響の途上であるので、しばらくは、様子を見ないといけないが。
5時前に宿に帰ってきて、すぐに用意を始める。相談して、蒸し野菜とシュニッツェル、スープ、ご飯とする。
白飯を鍋で炊く。
蒸し野菜(じゃがいも、ニンジン、インゲン)
ビーフシュニッツェル(すでに肉が広げられてパン粉などがついている既製品を油で焼く)
スープ(タマネギ薄切り、キャベツ一口に切ったもの、マッシュルーム薄切り。コンソメキューブと塩胡椒)
前日、食料の買い出しをして、ダーウィンを出てカカドゥ国立公園を通って、マニングリダというアボリジナルランドの町にやってきた。途中、国立公園内(正確には地域指定外だが)のジャビルーという町で、生鮮食料品や肉類などを買い足した。
途中、ニンブワ・ロックのあたりから数十キロにわたって、ユーカリの林の倒木が続いて、非常に荒れている感じだ。後で聞くと、一年半ほど前の猛烈なサイクロンでこの辺り、大きな被害を受けたらしい。
カカドゥからマニングリダへの道、もちろん未舗装なのだが、初めてドライブした1984年の頃を思えば、雲泥の差で、当時は林間の轍といったおもむきの道をぬって走ったが、現在は、川渡りで減速する以外、7-80キロの速度を維持することは簡単である。年々、道路改良が進んでいる。川渡りも深いところがあるが、川床の整備が進んだのか、安全にわたることができる。
マニングリダでの宿泊は、町から20キロほど南のゲストハウス(3ベッドルーム、でキッチンがついていて、プロパンガスの火力と電気がある。ここでの自炊は、この施設が完成直前の10年ほど前にきた。
いろいろと食材を持ち込むこともできないので、限られたことしかできないが、それでも、持ち込んだ範囲内で料理をすることができる。
今回の旅行、自炊の際は、私ともうひとり、オーストラリアに何度も来ている二人が共同で行う。
まず、白米を鍋で炊いて、
麻婆豆腐(タマネギざく切り、ショウガ、ニンニクみじん切り。ごま油でこれらを炒め牛挽き肉をくわえ、あわせ調味料で味を調える。蒜蓉辣椒醤、蒜蓉豆鼓醤、オイスターソース、濃い口醤油をあわせる。紙パックに入った豆腐を加える)
サヤエンドウとマッシュルームのオイスター炒め
案内についてきてくれた現地の知り合いも食べていく。食後のお茶にもつきあって、明日の再会を約して帰っていく。彼は、翌々日のガイドを買って出てくれている。
「読書と夕食」ではライターが明日から2週間ほどインターネットへのアクセスができない状態になる(ような場所に行く)ので、毎日の掲載を停止しします。
ご覧いただいている皆様には申し訳ありません。後日、まとめてこの間の「読書と夕食」をアップいたしますので、しばらくお待ちください。なお、日付は、このメッセージに関わらず、当日におこったこととして、掲載させていただきます。
2009-08-03 21:32:36 |
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朝からダーウィン郊外にあるカスリナのショッピングセンターで、明日からの2週間ほどの小旅行準備の買い物をする。屋根とベッドは確保されているが、食料を買い込んで持ち込んで料理しなければならない。生鮮食料品は、明日途中で買い足す予定。
今日は、ダーウィン・カップというローカル競馬の日で朝からおめかしした男女を何度も見かける。夜もまた、まだおめかししたカップルがいて、いつもの観光客がいっぱいのダーウィンとは様子が違っている。
昼食後、ダーウィンのNT博物館をオーストラリアに初めての二人を案内。この博物館の焦点は、アボリジニ美術、東南アジアの船文化、サイクロン・トレーシーからの復興というダーウィンの歴史、それから、オーストラリアの自然、とくに、この地の固有のクロコダイル(淡水域と海水域の両方に生息する大型のワニ)の展示が興味深い。
夕食は、同行の4人でスミス通りに最近できたらしい(?、いつ頃からあるのか、記憶にない)ベトナム料理の店「Saigon Star」にて。
生春巻きと鶉のローストを前菜に、イカと野菜のレモングラスソース、および、鶏肉とショウガのショウガソース。これらを長粒米のご飯で食べて、その後、腸詰めと牛肉のフォーと海鮮と野菜のフォー(フォーはビーフン)。
7時過ぎ、予定より少しの遅れで到着。国内への乗り継ぎ便の手続きをして、電車で国内線ターミナルを移動する(搭乗券があれば、無料)。
ダーウィン行きの便の待合室で今回同行のメンバーと合流。ダーウィンへは、12時45分の到着(日本との時差は、+30分)。レンタカーの手続きをして、ダーウィンの友人宅を訪ね、宿へチェックインをする。その後、今回の個人的な業務としては重要な、資料の手渡しをおこなった。
明日は、ダーウィンカップの当日で、ダーウィンは祝日である。まちは、大勢の人びとでにぎわっている。
夕食は、カレンベイのヨットアリーナ脇にある「Yot's」というギリシャ料理のレストランで、今回の同行4人とダーウィンの友人2人の6人で楽しく過ごす。
アントレとしては、生ガキ、ホワイトベイトという小魚のフライ、タコのマリネ。私は、メインとしては、ムサカを食べた、ひき肉となす、ヤギのチーズのグラタンと言ったおもむきで、なかなかおいしかった。

福岡伸一、2009、『世界は分けても分からない』、講談社現代新書
生物の発生は単一細胞からはじまる。まあ、あたりまえのはなしだが、そこから、分裂を重ねて数兆の細胞からなる成体ができあがるなんて、信じがたい。そもそも、働きの違う器官がどうして、たったひとつの細胞から分裂して、できあがってきたのだろう。成るようになったといわれればそれまでの話ではあるが、しかし、なぜだ?
また、ほとんどの細胞は日夜、新陳代謝で入れ替わる。厳密なことをいえば、昨日の私と今日の私を構成する細胞はことなっているわけだ。でも、昨日の私と今日の私は、同じ私として何ら違うとは思っていない。同一性はどのように維持されているのだろう。
遺伝子?それは、おなじだ。私の始まりのさいたった一個の細胞が持っていた遺伝子と今持っている遺伝子は、まったくいっしょだ。だから、自己同一性が保たれる。そう、その通りだ。しかし、細胞は遺伝子が全く同じなのに、形態や機能が異なっている。これは、どうしたものだろう。
著者は、細胞はお互い交信し、お互いの空気を読みそれぞれの位置と機能を分担しあうようになってきたのだという。
本書はエッセー集なので全体を一言で説明するのは荷が重いし、かといって、章ごとに、この章はどうとはいいにくい。しかし、あえて、一言でいうとすれば、これは自然科学的認識論の再検討ということになるだろう。しかも、主流の考えとは違う方向での再検討と言うことだろうか。それは、自然科学的認識論を一般の人間の持っている原初的認識論から考えるというのである。もちろん、だからといって、本書で取り上げられている事柄は、一般の人間の認識が及ぶものとは、異なっていることは、もちろんのことである。
ここでいう一般の人間の認識というのは、あらかじめ出来上がったイメージで物事をとらえようとすると言うことなのだが、本書で取り上げられる例は、たとえば、ひとつは、モナリザの絵の画素数を落としたとしても、モナリザの絵であることがわかるということ、火星探査の結果明らかにされた火星表面に見える動物や人間の顔のように見える地形である。前者は、人間の視覚による認識が、大枠で対象を把握するように作られていることを示すであろうし、後者は、既に知識として持っている事柄を、初めて見た対象であったとしてもそのなかに読み取ってしまう性向があるということである。後者にしても、ある種の認識の節約の方法として、既に蓄えられている情報のなかから新しい現象も認識してしまうという前者と同じく、認識経済学とでもいった合理性によるものによるものだろう。
そして、後半になると一転、細胞のガン化を巡るメカニズムについてのアメリカの生化学研究室の競争と研究室システムの話になる。しかし、そのポイントは、前段の人間の認識のあり方と重なっているということである(あたりまえといえばあたりまえだけれど)。本書の帯は「科学者たちはなぜ見誤るのか?」とセンセーショナルだけれど、この科学者はたぶん「人間」とおきかえて差し支えないだろう。
ま、くどくどかくよりも、一読あれ。著者の一連の著作はヒット続きである。本書も裏切られることはないだろう。

2009-08-01 23:44:07 |
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今日から、オーストラリアとニュージーランドに出張している。
午後、新幹線で品川を経由して成田エクスプレスで成田空港にでて、カンタス航空(日本航空のコードシェア便)でブリスベーンに向かう。オーストラリアへの便は、名古屋空港の頃には、カンタス航空が乗り入れていたが、中部空港になって、ジェットスター航空に代わり、昨年から、それもなくなって、とりあえずは、成田に来るしかない。また、中部空港からの乗り継ぎも悪いので、新幹線と成田エクスプレスをつかうわけである。以前は、東京で乗り換えたが、品川が便利だ。
夕食は、いつものように、第2空港ビルの寿司屋の「寿司田」で寿司を食べる。
補助動力装置の故障とやらで機材の変更があって、出発フィンガーの変更も行われ、出発が遅れた。