線路を越えて、柳井市街に向かう街道を進もうとすると、公園内の木々に覆われた神社が見えました。注意しないと、気が付かないで通り過ぎてしまうような小さな神社です。祠内にはキツネの像が数体ありましたので稲荷社かも知れません。この近くのアパートと関係があるかも知れません。公園は網で囲まれで容易には入れないようになっていました。アパート専用の公園かも知れません。その公園内の神社を出ると、水準点の石柱を見てから、大栄寺の傍を通りました。民家にも見えるお寺です。しばらく歩いて、茶臼山古墳に向かう道に入りました。
数年ぶりに訪れた、静かで誰もいなかった茶臼山古墳
歩いてすぐ、柳東保育園跡がありました。跡とは言っても建物は健在ですので、何かの行事に使えそうに見えました。この地域も子供の数が少なくなったのでしょう。そのため、統合されたのに違いありません。近年生まれる子供の数がとても減っているため、統廃合は仕方がないのでしょう。
公園内の小さな神社 宮本の水準点 街道通りの大栄寺
少子化の原因の一つとして、若い人の貧困化があると言われています。その貧困化の原因の一つが非正規労働のようです。私が入社した40年位前、非正規はおろす派遣すらありませんでした。つまり、正社員しか無かったのです。じわりじわりと非正規労働が広がっているようです。先生にも非正規があることを最近知りました。気が付かないうちに、日本は貧困化が進んでいるのではないかと思います。
柳東保育園跡 小さな妙見社 お地蔵様4
柳東保育園跡からしばらく歩くと、道から見上げた場所に祠のような妙見社がありました。そして、その数m先にお地蔵様4が安置されていました。妙見社もお地蔵様4も道から見上げる場所にあります。なぜ拝みにくい場所に置かれているのでしょうか?狭い階段を登って妙見社とお地蔵様4を拝むと、川沿いに山に向かって歩きました。そのままその道を茶臼山古墳に向かおうかと思いましたが、道を少し引き返して古墳直下の祇園社に向かうことにしました。
茶臼山古墳麓の祇園社鳥居 左右に狛犬と祇園社
茶臼山古墳がある山の麓に祇園社の鳥居があります。その鳥居の下をくぐって山道を左右に登りました。しばらく登ると、左右に狛犬を配した祇園社がありました。この祇園社は元々は茶臼山古墳の頂上にあったそうです。明治時代に一度代田八幡宮に合祀された後、元の茶臼山古墳頂上に戻したとのこと。さらにその後、平成5年の茶臼山古墳公園整備事業に伴いここに移されたとのことです。祇園社で少し休憩後、少し歩いて山上の茶臼山古墳に到着しました。
柳井港~茶臼山古墳周辺の史跡巡りウォーキングの下見コース