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ことばのことばかりか

2013年09月21日 | 雑記帳
 言われてみればなるほどと思ったのが、「炒める」という調理用語は、そもそもは「痛める」と同じ言葉であったこと。江戸期の料理本に「酢でいためる」という表現があるそうだ。つまり食材を柔らかくするという意味に通ずるらしい。火を使うのはかなり後で、明治期に「油でいためる」という表記が現れる。


 「日本語には、本来濁音から始まる言葉はありませんでした」…知らなかった。「抱く」はもともと「いだく」、「薔薇」は「茨」であったなどと出されると、そうかという気がしてくる。「ヒラヒラ」と「ビラビラ」を例にして清音の濁音化がもたらす、対立化、パロディー化という発想は面白い。濁りは嫌われ者か。


 「倭」と「和」。昔、倭国を同じ音を持つ和に変えたことは、かなり重要な意義を持つ。変更に関する明確な説はないようだが、和は日本を表わす中心の一字だろう。平和、調和、柔和、親和…安心が基盤にある意味をなすこの一字の雰囲気は国民を包んでいた。そういえば「和子」なんて名前はつけなくなったなあ。



 「暦は周期を人為的に設定したもの」…その周期が天文学と関わることぐらいは知識としてある。それにしても日めくりカレンダーには、実に多岐な刻印がある。例えば明日22日は、三碧・先勝・かのと・う・不成就日・一粒万倍日・昴…それぞれが当然意味を持ち、時間を有効に使うために設定されたものなのだ。