すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

「待ち合わせ」を見て妄想

2013年09月13日 | 読書
 新潮社の『波』誌で新しい連載が始まった。

 「俳句と短歌の待ち合わせ」と題して、俳人の堀本裕樹(有名な人らしい)と歌人の穂村弘が1ページずつ受け持つ。
 ひと月交代で兼題を出し合って、句と歌を作り、解説?を加えるスタイルらしい。

 よし、素人なりの妄想イチャモンをつけみようと思い立った。
 たまには俳句や短歌に向き合ってみるのも面白そうだ。


 今月の兼題は「椅子」。穂村の出題である。


 新涼やひさしく触れぬ椅子の脚(堀本裕樹)

 ああ、これは木製椅子よりも、金属系の脚を持つ椅子だろうなあ。思い浮かぶのは、カーテンの揺れ、書斎風の部屋。
 一瞬、女性のイメージもわくが、やはり男性が腰かけると思い定めて…。

 ぱっと触ったのか。それとも撫でまわすようにしているのか。
 腰かけたままに片手を伸ばすとすれば、それはとても意味ありげな姿勢に見える。

 いや、もしかしたらまだ触れもせずに眺めているのか。
 ステンレスのような金属に、窓のレースカーテンの揺れが映り、語り手は息をのむ。
 じっと見入ったまま動かない彼。窓から入る秋風が頬を撫でていく。
 椅子の脚に触れたい、その脚の冷たさを感じたい…かなりsexyな仕上がりですね。


 透明な椅子が近くにあるはずだそれから透明な洗面器(穂村弘)

 いやあ、これだけなら、もはやシュールな世界だな。
 作者は強度の近視であって、その風呂場での日常を描いているようなことを書いている。

 しかし自分で「椅子」と出して、透明な椅子とは確信犯的ではないか。腰掛けるための椅子が色や形をみせなくとも現実にある、というのは比喩か。
 そうだ、誰しも透明な椅子が近くにある。その存在に気づく人、気づかずずっと遠くばかり見つめている人…あせらず手探りを続ければ居場所はあるよ、そしてその傍には洗面器もあって、水を汲むことも運ぶこともできるんだ、君の人生は心配ない、しっかり歩めよ…って、安っぽいJポップの歌詞じゃないんだから。

 ただ、風呂場に入った近眼の自分が、いつもの場所にない椅子と洗面器を探してうろたえる歌なのか。
 それとも「透明な」という繰り返しによって、あるべき物が見えない喪失感をうたったものなのか。