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冷静と情熱の間にある叱り

2013年09月05日 | 雑記帳
 続けて「叱る」を調べていたら、電子辞書には方言一覧が載っていた。これがなかなか興味深い。全国各地で多いのは「オコル」「オゴル」。シカルは、ある面客観的な言い方だが、腹を立てて言い責めるというオコル系が圧倒的なのは、関係の固定化からくる言語の貧困か。ちなみに我が秋田も同様で「ゴシャグ」。


 特徴的なのは山口「クジュークル」、佐賀「ヤカマシュユー」。どんな発音になるのか想像もつかない。佐賀は喧しいからの転訛と言っていいのだろうか。極めつけは鹿児島の「ガーッ」だ。端的な音で叱るという発想を思い出させる。さて、この三県とも明治維新に大きく関わっているのは偶然か。教育の必然か。


 シカルをワープロの単漢字で拾ってみると、「叱」以外にも使ったことのない字が目立つ。学研の漢和大辞典で調べてみる。「呵」(かっとどなる)「咄」(ちぇっと舌打ちする)「喝」(どなる)「呧」(そしる)「咤」(たっと舌打ちする) 「啌」(意味不明)…いずれも単発的な怒り、不快の表現となっている。


 「先生にゴシャガレダのは…」という子供の言葉をさえぎって「ゴシャイダのではなくシカッタのだ」と昔何度となく言った気がする。つまりは、君の問題点や不注意を直そうと思って先生は言っている、けして怒っているのではないという思いの強調だ。教育者としては努めて冷静に説諭していくのが本道だろう。


 しかしその繰り返しの末に、不正や堕落などに対して感じる怒りを封じ込めることが習慣化されても困る。感情の発露が複雑化する社会の中で抑え込まれたり、捻じ曲げられたりすることは、数多くの問題につながっている。そこを踏まえて感情労働者たるべき教師は、積極的な自己開示に向かったほうがいいと思う。