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冷やし中華,おわりました

2013年09月01日 | 雑記帳
 冷やし中華が好きだということは宣言していたかな。どうでもいいが,一回書き散らしていたみたいだ。昨年末にちょっぴり書いている。なんせその店に冬でも出すべきだと進言したのは自分だから…。もっとも年に一,二度しか顔を出さない店なので,影響力はないに等しいのだが。とにかく冷やし中華は好きだ。


 勤務校で出前をとったとき,普通の冷やし中華の下に店の名前を冠した「○○冷やし中華」というメニューがあった。期待して注文してみたら,俗に言う冷やしラーメンでがっかり。紛らわしい名称を使ってほしくないな。ところが冷やし中華自体が結構なバリエーションを持ち始めていることをある週刊誌で知った。


 オーソドックス系つまり甘酢ダレの他に,新潮流系,変わり種系と分類されるくらいだから,かなり広がっているようだ。といっても結局は都会の話,そして季節限定的とも言えるだろう。無類のラーメン好きが集うこの国では,麺料理は次々とバージョンアップしていく。しかし「冷中」は「冷中」であってほしい。


 週刊誌の記事で,そういえばと思い出したのが「全冷中」…「全日本冷やし中華愛好会」。山下洋輔がきっかけを作り,会長筒井康隆を初め,赤塚不二夫,黒鉄ヒロシ…まだ売れていない時代のタモリなどが名を連ねた。こういうギャグみたいなことを大げさにやる連中がいなくなった。冷やし中華が熱い時代だった。


 AMEMIYAの「冷やし中華始めました」は,揺るがない夏の風物詩とあまりに揺らぐ身の上とのギャップを自虐的に語った唄だが,この冷中の味は甘酸っぱくなくてはいけない。そしてその掲示は何時とも言えず外される。その無常観も伝える(笑)。あれもこれも冷やし中華と呼んでしまえば,存在はないに等しい。


 考えてみると,全日本冷やし中華愛好会が4年の活動を続け,最後に出した解散宣言は実に先見的だ。その書き出しはこうだ。「冷やし中華は,死ぬ。」なんという潔さ。愛し抜いた人々は「鳴門三年四月八日以降,冷やし中華は地球に存在しない」と言いきった。正麺やラ王まで登場してきて,まさに地獄の様相だ。