すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

穂村の小さな焔の連鎖

2013年09月24日 | 読書
 連休中に、ダラリとして読んだ本から…

 『もしもし、運命の人ですか。』(穂村弘 MF文庫


 「恋愛エッセイ集」という分野であるそうだ。もちろん、かの穂村(そのエッセイに触れている者ならわかる)であるから、甘ったるい心情を吐露しているわけではない。自己愛、妄想、偏執…どんな言葉で表わしたらいいかと考えて思いついたのが「焔」、ある意味の激情である。それもチッチェーのがわんさか。


 さわやかに相手に話しかけたり、男らしく堂々に言い放ったり、向こう見ずに押しまくったりするタイプではない者が、恋愛を深く考えるとこうなる典型がある。「性的合意点」「性愛ルールの統一」は、大胆な提案だ。読者層ではないだろう男性の支持を得られるはず。しかし、絶対に受け入れられることはない。


 「『比較』と『交換』」という回は読み込むと恐ろしい。恋愛渦中の者はメタ認知から遠い地点にいるが、ちょっと離れるとそういう作業?を誰しもしていることがわかる。さらに人的なことだけでなく、常に「比較」「交換」している日常そのものと大きく関わる。富める者とは、その範囲が広いことの証しである。


 穂村の表現パターンの一つに、一言へのこだわりがある。聞き逃しそうな何気ない言葉を拾い、様々な可能性を探る。言語を分析しつつ結局妄想系になって広がる。この幅と種類が大きければ大きいほど、現実場面では動けなくなってしまう。それは、きっと分析することに満足している自分が好きだから。似ている。


 この愉快な本を「シュミレート天国」と称してみる。シュミレートで遊べるというのは偉大なことだと思う。いくらそんな遊びをしたって現実は一つという真理さえも、シュミレート天国の中では埋もれそうだ。大きい焔を燃やさなくとも、あちこちに焔が上がっていることを楽しむという姿勢だ。歓迎の人生観だ。