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この国を良くする叱り

2013年09月04日 | 雑記帳
 総合教育技術誌が『いまこそ「正しく叱る」教育を!』と題した特集を組んでいる。昨年6月号でも特集されていた。例の通達もあるが,今の現場の迷いも表わしている。読みながらいつも思うのは、単なる技術論ではなく、子供や保護者との関係性、そして社会風潮という壁をどう意識するかが大きく立ちはだかる。


 どの論者にも共通するのは「叱る原則」を徹底していることだ。つまり叱る側が揺らいではならない。指導者にとって不可欠なことだ。そして付け加えられるのは、現状認識とそれへの対応。学校に追い風は吹いていないし、向かい風の中を進むための説明責任と工夫、それらに心を砕かないと叱る真意が伝わらない。


 今回の特集の興味深い点は、特別支援の視点からのアプローチだ。これは上野一彦氏の「障害を個性に置き換えてみましょう」という言葉に象徴される。かつて野口芳宏先生は「普通じゃないから特別なんだ」と述べたが、今その境目はぼんやりとしてきて個別的な視点が膨れ上がる。複眼的な対応が求められている。


 そもそも「叱る」という字は、「七」が鋭い刃を表し「しっと鋭い声でしかりつける」という意味を持つ。幼小段階では身につけておきたい技術だ。掲載されていた本音座談会で、よく忘れ物をする子に対して指差して「ター!」と叫ぶだけの指導があることは笑いを誘った。案外本質をついている方法だと感じる。


 日テレのドラマ『斎藤さん』はパート2だが、そこそこの視聴率は取っているのかな。コメディ的な要素を持った筋とともに、最後は斎藤さんの正義感が勝つ結末に共感する視聴者も多いのではないか。そうだとしたら救いだ。「我が内なる斎藤さん」の存在をみんなが少しずつ大きくすれば、この国は良くなる(笑)。