すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

新しさがとり残されて

2014年04月02日 | 雑記帳
 「新」という漢字は,「斤」という部分から予想できるように「木の切り口が新しい」から出来たという説がある。考えてみれば私たちは,毎年毎年一本の木を斧で伐りだしていくような作業をしているのかもしれない。同じように伐ってもそれなりに新しさを見せてくれるが,意図的に伐りかたを変えてみてもいい。


 有名ラーメン店の特集が放送されると,決まって言われることがある。「味が変わらない」というのは実は違っていて,店主は味を微妙に変化させ続けている。そのことでお客は「変わらぬ味」と思う。もし同じであれば,客はその味が落ちたと評価してしまう。実に象徴的な話だと思う。毎日の授業も,学級経営も。


 どうでもいいようなことに時間を割いていると感じることがある。しかし,それを直そうとすると,計画のし直しで時間がとられたり,子どもに影響が出たりする。そのために仕方なく了承する。こうした事例から学べるのは,他への迷惑を覚悟して変えるか,早く準備して次に備えるかの選択の連続ということだ。


 とまあ,異動した新年度にありがちなことをつらつら考えるわけだが,結局のところ時間のやり繰り下手で,スタートダッシュが鈍い状態だ。さらに懲りもせずに,また4月始まり手帳を買ったはいいが,つけられないでいる。2年前も同じように挫折した。その半端なメモをみて実にいい自虐短歌(笑)を発見した。

 
 「いま」と言ふときにはもはや今はなく「いま」という音とり残される