すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

花粉拡がるように思い出が…

2014年04月04日 | 雑記帳
 少し目の痛みが酷くなってきたので、気晴らしに「花粉ネタ」で書きこんでみようかと思った。でも、結構この時期は書いているだろうと思って検索をかけてみたら、あったあった。完全に「繰り言ブログ」だなこれは…。特にこの回は、かなり総括的に書いている。人に歴史あり(笑)。そして私は今、件の学校勤務となっている。20年過ぎて、まだこのザマだ。


 件の学校は,わが母校でもある。と言っても現校舎で教わったわけではない。ただ自分の勤務も4年間であったし,何よりわが娘たちと同時にこの校舎にいたことが思い出の多さにつながっていると思う。赴任したとき,自分は38歳か。これで学級担任を抜けてしまうことになろうとは…。思いもしなかった。ただ落胆している暇もないほど,猛烈に忙しかった。


 当時の引き継ぎは,文書資料だけであり,まだデータでというわけにはいかなかった。もちろんワープロ専用機はあったが,FDを引き継いだ記憶もないし,すべて前年度の分を見ながら新規作成していったのだと思う。それも機械的にこなせない性格であり,「あれっ」「これはどうして」と思えば立ち止まり…。最初の数日はかなり夜遅くまでという記憶がある。


 一段落した頃,当時のT校長に「ちょっと一緒にやろうよ」と声をかけられたのが,遊具点検。トンカチをもって校庭の様々な遊具を叩いたり,揺すったり,昇ってみたり…はあこんなこともやるのか,とその時思った。今では全く普通のことだが,当時はそんな安全点検意識は一般的でなかったと思う。技術畑のT校長とは短いけれど印象深い思い出が多い。


 強烈な出来事は三か月後に待っていた。そのT校長の急死である。朝早くにI教頭からの電話が入った。その時のくぐもった声が忘れられない。自宅での突然死であり駆けつけてみた驚きは相当なものだった。九か月後に控えた定年退職を,というより退職後の自分のプランを楽しそうに,隣席の私に語る姿も目に焼きついている。そして今,私はその席にいる。