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この頃のキニナルキ

2014年04月13日 | 雑記帳
 子どもたちがその生まれ育った「習俗」を離れ,どんな家庭,どんな地域に生まれても,皆平等に一定以上の教育を受けることができる,ということは,義務教育の重要な本義だったのです。
 ところが今,時代は大きく変わりました。というのも,今ではこの学校が,新たな閉じられた「習俗」になってしまっているからです。

 苫野一徳 (「本」4月号講談社)

 習俗とはいつも発生していく。それは一つの原動力だから。
 従って,習俗のどの部分を改めるべきかか肝心である。
 社会観や価値観の問題と切り離されない。



 だって見た目がよくないでしょう。それに僕は手袋もしなかった。手袋をつけると素手の感覚に微妙に狂いが生じてしまうんです。
 王 貞治(上記「本」で二宮清純から耳当て付きヘルメットを着用しなかったことを訊ねられて)

 「見た目」とは「グッドデザイン」を持ち出すまでもなく大事。本質を表す。
 「素手の感覚」は素手でしかわからない。身に纏うものを点検せよ。



 身を守るために自分の美しさを諦める。それは生き方として間違っているのではないか。
 津村節子(「波」4月号 新潮社 「震災から三年」と題した文章で,筆者の息子の文章として紹介している。田老のあるホテル再建と防波堤に関して)

 王貞治の一言と通ずる気がする。
 人の考えとは,見えるものに表れる。
 結局自分は何を見たいのか…それが美意識と呼ぶものか。



 親が本という物質を「もの」としてでなく,「精神性」をも含めた存在だと認識し,子供に伝えることが大事です
 樋口 裕一(下記)

 ものに精神性を感ずるとすれば,その条件は愛着であり,その気持ちをどのように表すかという日常行動の習慣にもよる。
 乱読も結構だが,きちんと整理整頓すること。自戒。

 「2014読了」40冊目 ★
 『「本を読む子」は必ず伸びる』(樋口裕一 すばる舎)