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近い関係を支える心がけ

2014年04月15日 | 雑記帳
 【朋友切々偲々兄弟怡々】(ほうゆうは せつせつししたり。きょうだいは いいたり)

 「朋友は切々偲々たり」は、朋友とは磨き合うことができる関係でなければいけないということ。「兄弟は怡々たり」は、兄弟とはいつも和やかにいなければいけないということ。



 部屋に掛けられてある書軸の文章、後半である。
 ネット検索では次のように出てきた。
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 孔子曰く、朋友は切々偲々たり。兄弟は怡々たり。(論語・子路篇)

 切々偲々は努力する形容詞。怡々は楽しく愉快にすること。簡単でしかも無限の意味を含んだ一文であります。善は人間の生命であるけれども、肉親の間柄で、兄弟は勿論父子の間でも、これを責めるということはよくないと孟子が論じております。


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 「切々」も「偲々」も「怡々」も、直接的に「心をこめて」「喜び」と通ずることばである。

 ここでは、主体である「朋友」と「兄第」とは、区分されたような形で提示されているが,対比とまではいかない気がする。

 「朋友」とは「同門」の「同志」を指すことが語源という。
 「兄第」とはもちろんこれ以上ない結びつきを示している。

 どちらも身近な存在であるからこそ、切々、偲々、怡々という方向性は時々思い出しておくことが肝要だ。
 二つの関係には区分があるが、共通項も多いととらえるべきか。

 従って、ただ感情だけやさしくあっても駄目であり、切磋琢磨する根底を持ち合わせたい。

 行動と心情の両立、バランスをとっていくことは、意外と難しい。