すぷりんぐぶろぐ

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つまらない教師が嘆くつまらなさ

2014年04月08日 | 読書
 「2014読了」37冊目 ★★★

 『学校がアホらしいキミへ』(日垣隆 大和書房)


 高校生あたりをねらった本だとは思うが,結構面白かった。

 なにしろ「はじめに」に続く第一章が「先生はつまらない」と題されているほどだから。

 冒頭の文はこうだ。

 
 学校の先生は,ただのレッスンプロである。


 有難いような,有難くないような言辞だが,こうした言いきりは気持ちがいい。

 かつて尊敬の対象であった「教師」という仕事が,その立場から没落?してきた時代背景は十分に理解しているはずだし,その意味では的確な現状認識かもしれない。

 しかし,次の手痛い言葉には考えさせられる。


 最初から優秀なレッスンプロを目標にしてきた人は,未知の世界に挑戦する習慣がないので,本質的につまらないのである。


 そうかあ,と思う。
 自分を「つまらない」人間と言われて,嬉しく感ずる人はいないだろうが,たぶん,一面ではそれは教育の仕事をする者にとって必要なことではなかろうか。

 教育,特に初等教育は保守性を基盤としているものだし,安定,秩序といった面を坦々とこなしていくことは不可欠である。

 もちろん,それは個人の性格と同一視できないとは思うが,少なくともその線を踏まえた姿勢を持ち合わせいなくてはいけない。
 「学校が楽しい,面白い」は理想だが,その質を個の中にも集団の中にも育てねばならない組織には,必ず平凡さやつまらなさは同居するだろう。


 この著の中でとても納得がいったのは「好奇心より探究心を」の章である。
 ここに教育の役割の一端が大きく出ていると思った。

 著者はこう書く。

 
 探究心を培うには,好奇心を持った事柄に対して,本当のところはどうなのか,と何度も自問自答し続ける習慣さえあればいい。

 たぶん,この習慣づけに役立つ授業とは,一見つまらないと思えることをねばり強く推し進めていく活動である。


 さて,それにしても,かつての長野冬季五輪で,当時の地元長野市内中学校3年生は40人に1人しか直接競技を見なかったという話は,つくづくこの国のつまらなさを象徴していると感じた。