すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

言ってしまったことを補う連続

2014年04月14日 | 読書
 「2014読了」41冊目 ★

 『子どもの国語力は「暗読み」でぐんぐん伸びる』 (鈴木信一  ソフトバンク新書)


 「暗読み」とは筆者の造語である。
 真っ暗な寝室で親が子どもに物語を聞かせることを示している。

 第一章で「絵本の読み聞かせの功と罪」について触れながら、言語運用能力を高めるには、早い時期に絵本から離れなければならないと主張する、なかなか刺激的な本である。

 筆者は国語力で重視する点を次の二つに絞り込んで提案している。

 ①言葉を映像に変換する脳のシステム
 ②先の展開を予測する習慣



 これらを「想像力」と「論理的思考力」に結びつけながら、「暗読み」が育てる能力、その有効性を語っている。

 言葉の本質という命題について有名なヘレンケラーのエピソードや著名な作家、医者の論などを交えながら、説得力のある文章に仕上げているので、あまり読み飛ばしなく読めた。

 第二章以降は「暗読み」の実際について、創作の手順を中心に展開しているが、例文も結構楽しく、納得できるものだった。

 繰り返し主張される次の一節は、なかなか含蓄があるし、言語における表現活動全般に通ずることかもしれない。

 文章は<言いたいことを述べるために書かれる>のではなく、<情報の不足を埋めるために書かれる>のだということです。


 ここでふっと思い出したことは、学級担任をしていた頃の学級通信のことだった。
 日刊を一年やってから、その後は週2,3回ペースだったのだが、習慣的に別に言いたいことがなくとも日常的な様子について何度も書いたと思う。

 まだ手書きだった頃に、とにかく書き始めるというスタイルが自分なりに出来ていたと思う。
 そして、なんとなく最終行まで行き着くのが常だった。
 あれは何だったのか…。「○○君が、□□の時間に▲▲をした」と始め、それに関する不足の情報を補おうと書き進めたのかもしれない。そんな連想が湧いた。


 書く目的は確かにあるのだが、あまり強くそのことを意識しないまま、続けていたように思う。
 だからだろうか、筆者がこう書いたことに強く共感する。

 ひとたび書く作業に入ると、私たちの意識は次第に言いたいことにではなく、言ってしまったことに移っていきます。


 そう、まさにこの駄文もそんな連続だ。

 さて肝心の「暗読み」はどうするか。
 今はそのものを出来る環境にはないが、きっと国語実践としても面白いヒントを含んでいる考えだし、どこかで活きる気がしている。