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「得」をなぜ説くか,の時代

2014年04月23日 | 読書

 「2014読了」44冊目 ★★★

 『教師におくる「指導」のいろいろ』(家本芳郎  高文研)


 先週に読み切った本と同じく、80年代後半の著書である。


 この本が出た頃、自分にとっては一番指導技術へ傾倒していた時期だと思う。
 その頃読んだらどうだったのか、にわかに想像はできないが、今の自分には納得のいく本だった。
 むろん、もはや時代が違うので、感覚的なずれはあるのだが、それ以上に「指導」の本質を考えさせてくれた。

 中心となる第一章「「指導」のいろいろ」の冒頭にこう書かれてある。

 教師の教育的力量は、指導の力・管理の力・人格の力の複合体である。


 そのうえで、こんなふうに項目をまとめる。

 こうしたなかで、いま強く求められているのは、指導の力である。


 この本出版の意義はまさしくそこにあるだろうし、「指導が入らなくなった」という認識は30年前も今も同じで、より深刻になっているとも思える。
 家本先生が、この章で提示している「いろいろ」には次の18項目がある。

 説得する  共感する  受容する
 教示する  指示する  率先する
 模範を示す 助言する  励ます
 ほめる   話しあう  フィードバック
 対応    リハーサル つきはなし
 挑発    アジテイション 人間味をだす


 この順序には注目させられる。

 指導言の主といってもいい「教示」「指示」「助言」の前に、「説得・共感・受容」があること。

 はじめに対象となる子どもありきという姿勢が徹底していると言っていいだろう。
 家本先生はこう書く。

 説得は指導の基本形
 説得は合意の形成



 その技術をみがくには、一つ一つの丁寧さが必要になってくるし、共感や受容なしでは成功しないことは当然であり、結構ハードルが高いとも言える。

 この時代であれば、「師弟の志を同じに」することが説得の目的であった。
 今もその部分はなくなっていないにしろ、かなり対象が多様になっていて一言では語れない。

 いずれにしろ「身に付く・よくわかる」という意味での「得」を「どう説くか」だけでなく、「なぜ説くか」という時代に入っていることは確かである。

 説得一つでもこれだけ考えさせられる。
 この本と時代の流れの照応は、いろいろな思いを生んでいる。
 もう少し読み込んでみたい。