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「子どもをさせない」のは大人の責任

2014年04月03日 | 雑記帳
 『総合教育技術』誌4月号の巻頭インタビューで、建築家安藤忠雄は「教育のどこを改善すればよいでしょうか」と問われ、こんなふうに答えた。


 「子どものときに子どもをすることです。」


 「子どもをする」という表現の意味するところは、読み進めていくと次のように語っていることでわかる。


 「子どもは大きな声を出さないと。子どもは人とぶつからないと。子どもは自分の好きなことをする時間を持たないといけません。」


 この提言の内容について、昔は十分にその機会や時間があったのに、だんだんとそういう点が萎んできていると多くの人が感じていることだろう。
 社会全体の問題、時代の流れでやむを得ないではないか、と割り切る前に、では学校教育実現できないか、と頭をひねってみることが必要だ。

 声や精神的・身体的接触、対立の場、自由時間の保障…、意図的に拡大させていくことは可能だろう。
 むろん、制限が多くあるし、学校での設定が本当にそういう機会を保障することになるのか、という疑問も残る。
 しかし、加味するという一歩によって、子どもの変化を捕らえられれば、私たちにとってはそれがちょっとしたパワーになるような気もする。


 「子どもに子どもをさせない」のは大人の責任である。

 その大人自体が「子どもをする」経験を持っていない世代が増えてきているからだろうか。
 捻られたような思考や感情を、自分の子どもにぶつけているようでは困る。


 それにしても、「子どものときに子どもをしていない」見分け方が、顔の大きさという件には笑ってしまう。

  「私は顔の小さいやつは役に立たないと思っています」

 その観点だけなら、私はいわゆる「大物評論家」並みで、十分に合格できる(笑)。