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「指導」の確かな基本

2014年04月25日 | 読書
 『教師におくる「指導」のいろいろ』(家本芳郎  高文研)


 もう一つ、「ほめる」は書きとめておきたい。

 ほめることが難しくなったか…その判断ははっきりくだせないが、難しさについて書かれた文章には納得がいった。
 家本先生は、「ほめるに価するようなことをしないから」という理由の他に、次の五つを挙げている。

 ・教師が学校の規則という尺度で子どもをみている
 ・教師自身が「いい子」で育ってきている
 ・子どもがすぐ得意になる
 ・ほめてばかりいると、ほめないとやらなくなる
 ・ほめても効果がない。かえってシラける。

 こうした分析から「ほめ方のセオリー」を導きだしている。

 昨日宿題を忘れた子が、きょう半分やってきたときを例に、次のような言葉でほめるそうだ。

 「半分やってきたか。よし、よくやった。たいへんだったろう。では、こんどは三分の二以上やってこい。辞書をひいて調べるんだぞ。できるな」


 この言葉は以下のようなセオリーを充たしているという。

 ・一人の子どものものさしでほめている
 ・ほめながら、ちょっと高い目標を示している
 ・目標にせまるために何をすればいいか教えている
 ・子どもの努力に共感している

 短いほめ言葉のなかにもきっちりと要素を盛り込むことは、意識的な訓練が必要だと思うが、こうした実務的な研修もあっていいかもしれない。

 子どもの緩い実情ばかり気にして「ほめる」ことに消極的になってはいけない。


 では、何もないときはどうするのか…それに対しても、家本先生はそうじの実例(終わりましたと報告にきた子が、実はきちんとやっていない場合)を示して、こう結論づける。

 ほめることがなければ、ほめることをさせて、ほめてやる


 「指導」の確かな基本がここにあるような気がする。