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「少しだけ」のやさしさ,厳しさ

2014年05月07日 | 読書
 「2014読了」50冊目 ★★★

 『少しだけ、無理をして生きる』(城山三郎  新潮文庫)


 ここに取り上げられた人物は、広田弘毅、渋沢栄一、毛利元就、田中正造、浜口雄幸などであるが、誰一人として「少しだけ」無理をしてきたわけではない。
 おそらくは、想像を絶するような無理を自分に強いてきた。その結果、歴史に名を残したのだ。

 この文庫はもともと『逆境を生きる』という書名で発刊されていた。
 その意味で、著者の視点のあて方は、やはり辛い現実を生き抜く精神力の強さに集約される。

 今、目の前にある「逆境」。
 それがはっきり見えているかそうでないかは別にしても、著者は偉大なる先達の生き方の本質を示し、遠い輝きの存在を糧にしてほしいと願っているのだと思う。


 一方で著者は、自分自身のことを書いた第5章に、改題された書名のもととなった「少しだけ無理をしてみる」を題として掲げている。

 これは、著者が作家という仕事を続けていくなかで、実感としてあるいは指針として持ち続けてきた思いのようである。

 作家伊藤整からの忠告として受け取った「少しだけ無理」が、自分を成長させてくれるコツのようなものととらえ、こんなふうに記している。

 少しだけ無理をしてみる――――これは作家に限らず、あらゆる仕事に通用するテーゼじゃないでしょうか。


 さらに、人間観察の達人ともいうべき著者が、たどりついた一つの結論らしい次のことは、実に味わい深い。

 事件が性格を作るんじゃない。性格が事件に遭遇させてしまう。


 幼少期に関してはさておき、少年期以降であれば誰にも当てはまると言えるのかもしれない。

 私たちの身に起こる様々な出来事は、たまたまの「幸運」や「不運」というばかりではなく、ある意味の必然性つまり現実をどうとらえ解釈していくかの連続性によって、方向づけられていくのではないか。

 確かに有名無名に関わりなく、身の周りにいるささやかな人々であっても、そうした真理が通じている例はいくつも挙げられる。


 「無理をする」に込められている性格とは、積極性や挑戦、あるいは初志貫徹といった言葉に置き換えられるかもしれない。
 結局は、それらが性格を形づくるうえで、とても大きな核となる。
 そして当然のことながら、私のように馬齢を重ねていると弱まっていく精神である。

 そこに「少しだけ」と呟くように添えたことは、著者の温かくかつ厳しい眼差しの表出なのだろう。

 しかしそれは同時に、「少しだけ」に込められたやさしさと厳しさにどう向き合っていくかが問われていることである。