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「最強」ブームに小さくもの申す

2014年05月28日 | 雑記帳
 最近見たニュースだったろうか、プロ野球の試合後インタビューで、「最強の、最高です」という表現をした選手がいた。
 まあ、たわいのない強調表現なのだろうぐらいしか思わなかった。

 書店で手にした『総合教育技術』(小学館)の今月号の特集名が、「最強の校内研修」とあった。

 へええ「最強」かあ、「最高」だと平凡?すぎるので、「最強」という言葉でインパクトをつけたのかな…。
 さらに、表紙の上部を見ると、「最強のチームをつくる!2大特集」とまで書かれてある。

 「最強」ブームなのだろうか。

 「最高」との比較をしてみると、おおよそ二つのことが想像される。

 一つは、勝ち負けがあるイメージ。競争に勝つということ。
 もう一つは「弱くない」から「揺らがない」、「がっしりしている」というイメージだ。

 そう考えると、前者からは単純に「競争社会」が思い浮かぶ。
 使い方は「最高」と同じであっても、「最強」と口にした瞬間に、相手がいるような印象を感じてしまう。
 そもそも「チーム」という言葉は、目的達成に向けたものだったろうが、知らず知らずに強弱による比較になってしまったのだろうか。

 「最高」にも高低があり、比較できるには違いないが、この場合のイメージは内部の満足感、達成感に近く、内部表現に近いような気がする。

 もう一つの「最強」のイメージにある「揺らがない」は、自信満々といった連想も働く。弱点がないという一面も浮かびあがってくる。
 組織としてはそうありたいと願うのは常なのかもしれない。


 連載されている「教師のためのメンタルヘルス講座」で、和田秀樹氏が「心が強い」ということを取り上げた。

 心が強いことを「不安などに負けない人間、実力が発揮できる人間」というイメージではなく、こんなふうに意義づけしている。

 心が強いとか、心が健康というのは、うつにならないことではなく、うつになっても、それほど悪くならずに、最悪、自殺に至らない、その後、回復して復職するということだ。


 まったくカテゴリーの異なることを並べているようだが、どこか共通する部分もあるような気がする。

 自分の中では「校内研修」は別に「最強」でなくともいいんじゃないかなと思う。

 もちろんいい研修を求めていくには違いない。そして効率的に展開したい。

 けれど、根本のところでは目の前の子どもたちにどう対していくか、そんなことをどろどろと続けていくような…「弱い」と見えても、一人ひとりがしたたかに仕事を続けられる、そんな研修が、本当は「強い」のではなかろうか。