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書名がにやりと笑った

2014年05月12日 | 読書
 「2014読了」52冊目 ★★

 『やさしさをまとった殲滅の時代』(堀井憲一郎  講談社現代新書)


 私が持つ著者のイメージは,落語評論家だった。しかし,それだけではないらしい。

 3月末にまとめ買いした本の一冊,この連休にようやく手につけた。

 ぱっと見たとき,「殲滅」ということばをどう読むか,正直わからなかった。

 えっ,なにメツ?ショクメツ?ザンメツ?・・・・
 いつもならすぐ調べるのだけれど,中に書いているだろう…知らないままもオツだな,などと思ったりして,そのままページをめくることとした。

 ふりがなも出てこないし,頻度が多い言葉でもないので,結局ずっと不明のままで読み進めることになった。


 序章はともかく,第1章から第3章ぐらいまでは,ぴんとこない面が多かった。
 もちろん著者とは同年代とも言えるので,80~90年代,00年代の時代認識について,頷けることは多い。
 ただ,具体的な事象については,ここは都市生活者と地方に住む者との違いもあるかもしれないし,情報感度の差かもしれないが,その波をもろに身体で受けたというより,波打ち際にいるような感覚といった印象だった。


 しかし,「『若い男の世間』が消えた」と題した4章以降は,見事にすうっと心に入ってくるようだった。

 火事。祭り。隣村との争い。

 こういう「若衆の世間」の喪失については,おそろしく納得がいった。
 それはおそらく,想像以上に昔から着々と進んできたことであり,今,著者の書いたこの文章の現実感は,ずいぶんと広範囲に漂っている。

 洗練された都市では,空が青く,建物が清潔で,そして男子はやることがないのだ。しかたがない。


 そして「ブラック企業」「ゆとり教育」「暴力性」などについて論は進む…男性としての視点が強いのは当然だと思うが,世の中の流れが絡み合い,つながりあって,個の分断された時代がつくり上げられたことには納得がいく。

 そして著者の現時点での結びは,案外単純なものだ。

 迷惑をかけて生きていく。
 迷惑をかけられたら,面倒くさがらずに世話をしていく。
 そこに,金銭やら経済活動を介在させない。


 単純ゆえに,時代に染まった心身には困難なことでもある。

 まず,きちんと身のまわりをみなければいけない。


 さて,「殲滅」。

 その読み方は全214ページの次の「奥付」に,初めて登場する。

 「せんめつ

 「皆殺しにして滅ぼすこと」という意味である。


 書名がにやりと笑った気がした。