すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

子どもの独立世界表現

2014年05月19日 | 雑記帳
 先週の「桜」の続きではないが、芭蕉のこの句はどうなんだろうなあ、と思う。

 さまざまの事思ひ出す桜かな

 この「桜かな」が、他の花ではまったく駄目な気がするし、やはり装置なのかなあ、と引きずりつつ…



 3年に1回ぐらいは購入する有名なある月刊誌を読んでいたら、「『孫と句会』の悦楽時間」という、俳人の長谷川櫂氏が書いた文章を見つけた。

 小学生の俳句を紹介しながら、読者として多いと思われる層に俳句を媒介とした家族とのコミュニケーションづくりを奨めているものだ。

 この頃、俳句づくりの授業はしていないなあ、と考えてみたら、ちょうどこの学校に前に勤務していた頃、「ハイハイ俳句」と名付けて、数時間6年生相手に実践したことを思い出した。

 愚娘が6年生であった。
 その学級にも、結構見どころのある作品が多かったという記憶がある。

 長谷川氏がこんなことを書いている。

 面白い俳句を作る年代というのははっきりしています。それは、小学四年生から六年生にかけての高学年です。


 「子どもという独立した世界」が残りながら、少し表現力を身につけた頃という判断か。

 いくらか俳句、短歌を教えた経験からわかることの一つとして、子どものつくるつまらない作品の典型は、表現語彙のあれこればかり考え、描きたい世界がない場合だ。(それ引き出してやることが仕事なんだけれども)

 存分に体験し、心湧き躍るような瞬間がほしいんだよな、と一人ごちてみる。

 だから、そういう瞬間を的確にきりとれたら、大人が読んでも面白い。
 この句なんかは最たるものだ。

 水てっぽううらぎらないとつまんない

 少しやる気が出てきた。