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問題提起か問題視か

2014年05月20日 | 雑記帳
 『美味しんぼ』の表現をめぐっての批判が喧しい。昔からのファンではあるが、週刊誌で読むのではなくコミック派なので、今回も実際には目にしていない。ただ大震災以降、原発事故はあの漫画が取り上げる重要なテーマの一つであったので、ストーリーとして登場するのはごく自然であろう。その是非について語る見識はないが、この騒動自体は気になる。


 言ってみれば、たかが漫画である。その表現をめぐってこんなふうに騒がれるのは、『美味しんぼ』がとても有名であるからだろうか。取り上げた放射能汚染についての関心が、多くの人に影響を及ぼすからだろうか。なんとなく、ネット社会の中で、その漫画に目をつけた小さな発言が、拡大再生産されているような印象をうける。こればかりの問題ではない。


 同志社大学教授で漫画評論家の竹内オサム氏が、新聞に寄稿していた。次のようにまとめられた。

 20年前、いや10年前に同じことが起こっても、これほど問題視されなかっただろう。新聞やテレビのような影響力の大きいメディアが、よく分からないことに触れずに回避しようとするとき、それをおえて取り上げ、問題提起するのがサブカルチャーの良さだったはずだ。漫画はかつてそうでありえた。一つの漫画の一つの描写がこれほど問題視されるのをみて、漫画を見る世間の目は、本当に変わったんだなあと実感するのである。


 漫画がサブカルチャーの範疇から出たと解釈すべきか。または、サブカルチャーに対する認識が変化し、その存在を取り巻く環境が変貌したととらえるべきか。様々な切り口で解説はできるだろうが、少なくとも、問題提起という受け止め方と、問題視される受け止め方では違いは明確だ。メディアの取り上げ方一つでどうにでも色が変わるとつくづく感じる。