すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

喫茶店の席から遠く離れて

2014年05月10日 | 雑記帳
 NHKBSで放送されていたドラマ「珈琲屋の人々」(5回連続)を観た。


 どちらかと言えば地味なストーリー,キャストではあったが,不思議にその雰囲気に惹かれた。

 これはもしかしたら世代的な傾向で,若い頃に「喫茶店のマスターになってみたい」といったような願望をちょっとだけ心に抱いたからかもしれない。

 喫茶店,音楽,珈琲の香り,煙草の煙…退廃的とまでは呼べないにしろ,そういう世界に染まった数年間があったことは確かで,今思うと知らぬ間にそこからずいぶんと離れてしまったと感じる。

 その無為な時間がとても愛おしいのは,単なる懐古的な感傷とは思いつつ,ぼんやりとした豊かさのようなものが確かにあったという感覚が残っているからだ。


 久々にアクセスしてみた平川克美さんのサイト「カフェ・ヒラカワ店主軽薄」に「喫茶店が消えた理由」という文章があった。

 とても興味深かった。
 ドトールやスターバックスがある場所には住んでいないが,とてもよく流れが見える。

 経済性・生産性と「文化」は,結局のところ折り合わないのか。
 いや,この言い方は正しくない。文化はどんな場所にも生まれている。
 それは志向や嗜好の違いというべきなのだろう。

 ただ確実に言えるのは,巨大な勢力による浸食は,個の志向も嗜好も,そして思考さえも飲み込む(なんて洒落のようなことを考えた)ことだ。

 その現実は「幸せ」とどう結びつくかを,落ち着いて考えることだけが,安易に飲み込まれないための処方箋になると思う。

 そのための席はとうに失われてしまった,と考えるか,どこにでも見つけられるはず,と考えるか,それともつくり直してみるか,と考えるか。

 結局,後半戦はその選択を迫られることになる。