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「要するに」を遣う男に

2014年05月30日 | 雑記帳
 録っておいた映画『木更津キャッツアイ』で,変なキャラクターを目にした。日系人役で「要するにぃ」を連発する。その「要するにぃ」は単なる前置きに過ぎず,本来の役割になっていない台詞連発である。日本語の不自由感を出すにはいい手法だなと思いながら,こんな人は身の周りにも結構いるよね,と気づく。



 【要するに】…「つまるところ。かいつまんでいえば。つまり」と広辞苑にはある。そうすると,結局かいつまむことができなければ,「要するに」以降は同じことを言い換えて述べることになる。結局,かいつまむどころか,かえって長くなったりする場合も十分考えられる。短くしてわかりやすくなる保障もない。



 もし,伝わらなければ,また「要するに」と続けて,別の説明や例示をすることになるのだろうか。ということは,この「要するに」という副詞は,伝えたいという気持ちの強調という役割を持っているとは言えないだろうか。日本語
の不由な日系人?は「要するにぃ」ということば一つで,気持ちだけは伝えられる。



 「要するに」を調べていて,当然「要する」も目にしたが,一つ使い慣れないというより,使ったことのない意味があった。「待ち伏せする」である。例文として「敵を要して撃つ」と載っている。どんな関連があるのだろう。「要」を調べて判明する。「邀」の通用字という記述があった。戦いの言葉だと理解する。



 自分ではあまり「要するに」は使わない気がする。しかしもし口ぐせにすれば要約力は高まるのかもしれない。他人の話をよく聴けないタイプの人間には有効だろうか。どのタイミングで使うか,まとめて話を分かりやすくするとき,結論に向けて急ぎたいとき…「待ち伏せする」ような気持ちで,口に出してみたい。