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スマホ時代の漢字のなまえ

2014年05月22日 | 雑記帳
 運動会が終わって、ようやく子どもたちの写真を掲示する仕事に取りかかれると思った。名前を貼り付ける作業を進めながら少しずつ顔を覚えようと考えたのだが、ちょいと難関が待ち構えていた。いわゆる「キラキラネーム」打ち込みである。ある学級の子供達を例にいうと、パソコンの辞書変換で候補として出てきた名前の数はわずかに3人。1割に満たない。


 年々、増えていくこの現象にどう対するか。昨日は町の小学校陸上競技大会があったが、そのプログラムの氏名には全員ふりがなが必要になっている。賞状を読み上げるにも、そのままの漢字では読めないのが圧倒的だ。かなを振るように要望があっても、忙しく作業をこなしているスタッフからは「読めないようなものを…」と本音が出てしまうのは仕方ない。


 学校報に載せるために、入賞者を打ち込んでいくが、ここでもイライラする。まあ読める字の組み合わせならいいが、時々出てくる難漢字の場合は、自分が試されているようだ。漢字の一部の音読みでたどりつくのが常道である。ただそれさえも困難な字がある。漢字の良さは十二分に認めつつ、この作業で感じるのは、漢字を使う人間の欲深さ、自己中心性かな。


 そうではあれ時代は逆流しない。ふと昨夜の会議で、高校の先生が朝に回収している携帯電話等が入ったボックスを見たら、1台がガラケーであとは全部スマホだった、という話を思い出した。当然とは思いながら改めて巨大な波が押し寄せているのがわかる。直感的な操作でコミュニケーションをとれる世代には、漢字の名前など似つかわしくないのかもしれない。