すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

花見が終わりマスクが外れ

2014年05月13日 | 雑記帳
 購読している地元紙の「桜」情報コーナーが姿を消したのは、昨日月曜だ。それはそうだろう、前日にしても県内各所がほとんど「葉桜」の表示だったのだから。しかし一ヶ所だけ「七分咲き」とあり、そこが毎年最後の花見を楽しめるポイントだ。ちょうど土曜日が運動会で、月曜は振替で休日。混雑することもないだろうと、家人と一緒に出かけてみた。


 ソメイヨシノはもう散っていたが、八重桜や黄桜が多い箇所なので、いつものように見ごたえがあった。遠景としての配置もなかなかで新緑になり始めた樹木とのコントラストもいい。2年ぶりにカメラに収め、それを「ことしのさくら」シリーズの締めとすることにしようと決めた。帰りの立ち寄った山の水源地にあった、赤い花をつけた樹木も撮ってみた。

 写真はこちら

 例年より少し意識して、桜を撮り続けた。天気に恵まれ花が映えた気がしたし、昨年よりはずっと見ごたえがあったと思う。先日、NHKの「72時間ドキュメント」という番組で、上野公園の桜に集まる人々の姿を放送していた。会社等の場所取りや宴会の姿はともかく、吸い寄せられるように花に集まる人だかりを見ていると、つくづく不思議な花だと思う。


 十年以上前になるが、その時も振替休日を利用して、町内や近隣の桜を巡ってみようと思い立ち、一日かけて一人で回ったことがある。公園や学校は当然のごとく多いが、目についたのは墓地だった。山間部の村の、墓標が一つか二つしかない場所にぽつんと植えられている桜が数か所あった。文学的なイメージだろうが、やはり生死を強く感じさせる花なのだ。


 先日注文した新書が届いた。桜の季節のふりかえり?の意味でもじっくりとページをめくってみよう。さて、NHKの番組で取り上げられた一人の老女は、桜を追って全国を旅しているという。気持ちもわからぬではないが、のんびりと花見を楽しむことへの羨ましさとともに、その旅の終わりにどんな心を持つのか、どうしようもない寂漠の思いも湧いてくる。