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具体から始めるということ

2014年08月05日 | 読書
 「私の作文教育」(宇佐美寛 さくら社)をゆっくり読むシリーズ3回目。


 P61
 授業でも,作文でも,具体例を大事にしなければならない。人は,概括・抽象から学習しはじめるのではない。



 言われてみれば至極もっともなこの教えは,現実の場に反映されているだろうか。

 例えば,授業の冒頭に「めあて」や「課題」を提示するということは,具体例と言えるのだろうか。
 その表現の仕方,つまり固有名詞や数詞などを使用すれば具体的に近づくということだろうか。
 そもそもめあてを掲げてそれにそって行う学びが唯一正しいものと言えるのだろうか。


 宇佐美氏は続けてこう書く。

 この悪癖は,ノートのとり方にも表れている。「まとめて簡潔に書け。」などという誤った指導を小学校以来受けてきたらしい。


 要約力は,人が学習すべき大事な能力の一つには違いないと断言できる。
 しかし,それは「まとめて簡潔に」と繰り返されて簡単に育つものではない。
 たぶん,多くの具体例を要約せざるをえない場に立ちながら,要約の具体を見聞きしながら身につけるものである。

 その順番を間違ってはならない気がする。

 そのことからふと思うのは,「文章を大づかみに理解する」といった読みの流行?だ。言いたいことはわかるにしろ,危うい側面をもつのではないか。

 多読も速読も大事。計画的,構成的に取り入れていきたいことだ。
 しかし,文章の細かい点,言葉の一つ一つを丁寧に吟味することが,やはり基本だ。

 文章を大づかみするといっても,教師がしておくべきことは同等ではない。
 指導する立場にあれば,どんな細部,具体からも全体とのつながりを導き出せるようにしなければいけない。