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比較は作文のエンジン

2014年08月13日 | 読書
 『私の作文教育』(宇佐美寛 さくら社)をゆっくり読むシリーズ。パート4である。

 今回のありがたい教えはここである。

 P124
 とにかく、他の具体例をぶつけて比較することによって、考えるべき問題が見えてくる。これで作文が出来る。



 「第4章 疑問・批判」では、出口論争に関する吉田章宏氏の文章を詳細に分析、批判し、その流れを「第5章 比較」で展開させていく。
 「衝撃的な論理をできるだけ手短に言」い、それに向けられる苦情や非難に対して答えていくことが「理論」になるという。

 文言も含めてある事物に疑問がわくということは、対照的な思考や存在が意識されていることである。
 ごく単純にいえば、「やる」と「やらない」か。
 もし「やる」に対して疑問がわかないとすれば、「やらない」が意識されていないからだろう。

 しかし、作文とは「比較」の産物であり、常に対象物への対立・差異を浮かべる思考が求められているのである。

 そして、著者はこう言う。

 P117
 <比較>は、特に意識して訓練するといい。


 この著では一つの例として「男女混合名簿」が提示されていた。
 教育の現場に突きつけられている主張は結構いい訓練の対象になるようだ。

 今ばっと思いつくものを挙げると…

 ・道徳の教科化
 ・開かれた学校
 ・ICT化推進、情報管理
 ・愛国心 などなど

 どれも大きい問題であり、政治抜きには考えられない現実がある。

 ただ、まずは自分の頭で比較対象を持ちながら、細かに考えてみることが大切だ。
 どんな流れになっても、その部分を鍛えていないと、結局は非力な営みにしかならない。

 作文の必要性は実はそこにあるような気がする。