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「〇ザワリ」がサワル

2014年08月09日 | 雑記帳
 研修会の挨拶などの中で、昨今の言葉遣いについて話題にされるのはよくあることである。
 先日も,NHKの某キャスターまでがこんな間違いをしていると憤慨された方がいた。

 「耳ざわりのいい音」

 あれっ、と一瞬思ったがそうだそうだと思い直す。

 「耳ざわり」とは「耳障り」であり、「耳触り」ではないはずだ。
 従って「耳障りな音」はあるけれど「耳ざわりがいい」という表現はないのである。

 「さわり」は確かに間違いやすいなあと思いつつ、電子辞書を開く。
 こういう時は、「逆引き広辞苑」である。

 「ざわり」で検索してみる。
 全部で12あり、「たたみ(畳)ざわり」以外は、全て人間の身体に関わることばだ。

 11を列挙してみる。

 足触り  足障り  気障り  口触り 
 心障り  舌触り  手触り  歯触り 
 肌触り  耳障り  目障り


 「触り」「障り」が両方使えるのは「足」しかない。

 それからいわゆる五感の感覚器の中では,「鼻」に関する語がない。
 「目」も「耳」もあるのだから「鼻障り」があってもいいかもしれない。
 匂いや香りは対象が明確でない場合か多いかもしれないから,一般的にならなかったのかと勝手に予想してみた。

 五感の「触」が,手,足,肌,口,舌,歯と豊富にある。
 それだけに「障り」は「足」ばかりかあ,とまた気になる。

 「さまたげになるもの」という「障り」が生じてくるのは,肉体的には歩くときしかないということか。
 その割に,見たり聞いたり考えたりするときは,ずいぶんと「障り」が登場するものだ。

 厳密には言えないが,なんとなく目や耳という「受け入れる」器官は,障りという言葉を用いることで,拒否という判断があることを表明しているのかもしれない。


 お互い,目障り,耳障りにならないように,つつましく暮らしていきませんか。

 こんな言葉を「メザワリ,ミミザワリ」がよい?と思うか,目障り,耳障りだと思うか…結局どちらも中身がないということじゃないか。