すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

「希望のしくみ」を小さくつくる

2014年08月10日 | 読書
 「2014読了」76冊目 ★★

 『希望のしくみ』(A・スマナサーラ,養老孟司 宝島社)


 スリランカ上座仏教の長老というスマナサーラ師とご存じ養老先生との対談。編集サイドの聞き手もいて,いろいろな引き出し方をしている。

 仏教徒でもないし,宗教についての知識も少ない自分にとっては,新鮮なことが結構あった。

 テーラワーダ仏教と日本の仏教の比較が最初にあったが,スマナサーラ師は,日本がいわゆる「祖師信仰」が強いことを前置きに,こんなことを語られる。


 そもそもお釈迦さまは,信仰には断固として反対していたんですよ。私を拝んでどうなるのかと。
 (略)
 お釈迦さまは真理を提示して,「自分で調べなさい。確かめなさい。研究しなさい」という態度で教えたんです。「私を信じなさい」とは,まったく言っていません。



 聖人とはそういうものかと思いつつ,いったい宗教とは何なのだろうと考えてしまう。
 また,ふだんの仕事や生活に照らし合わせみても,大きく関わってくる姿勢だし,そういう目でみれば,二人が様々な例を出して「日本人は生きていない」と繰り返す意味もつかめる。


 そもそもは,この題名が気になって買った文庫だった。
 その「しくみ」が何か直接的に書かれているわけではない(しいて挙げれば「仏教」そのものだろうが)。

 ただ,解説を書いた名越康文氏が,「自己モニタリング回路」と表現したことが面白い。こんなふうに書いている。

 自分がどんなふうに感じているかを継時的に見る回路を開いておきなさい

 これは自己俯瞰ともつながるだろう。
 もちろん,そのための方法として瞑想法などの紹介もあった。

 また,それに通じると興味深く思ったのは,スマナサーラ師が「生きる方法」の一つと言っていいと語ったことだ。

 あまり大胆な計画じゃなくて,一時間で成功できるぐらいの計画,三十分で成功できるくらいの計画(笑),小さなユニットに切るんですよ。


 「刹那主義」の一面の意味づけを見たような気がした。