「2014読了」78冊目 ★★
『教室からの声を聞け』(多賀一郎,石川晋 黎明書房)
1日に開催した石川さんを招いた研修会に,この本を何冊かお持ちくださっていた。
著者価格(笑)ということもあり,あっという間に事務局周辺で売り切れた。
夏季休暇初日に,小一時間で読了する。
読み終えて,本当はそんなふうに簡単に読める内容ではないだろうな…と少しおかしな感情にとらわれた。
著者の二人は,生まれも育ちも,年齢も校種も違う。そして北海道と関西という勤務してきた場所も大きく異なる。
その二人が「教室からの声」つまり,子どもの声に真摯に耳を向けてきた自らの教職生活を照らし合わせていると言っていいだろう。
お互いに惹かれ合うものがあったからのめぐり合いであり,それを縁にしての対談と共著であるので,当然,共通された考えがあちこちに出てくる。
一言で表せば,教師に「内省」を迫る本と評することができる。
少なくとも,私には,ああと思わされる言葉がいくつもあった。
教育は結果ではない,経過なのだと教えて頂いた(多賀)
子どもたち一人ひとりの人生の物語に思いをはせる余裕もなく,学校の理屈の代弁者として,一様な物語を強要してきたのではなかったか(石川)
学校が理想を語らず,効率や処世だけを語るようになったら,教育は死にます(多賀)
教室というものが,本来「理想の」などという言葉と最も遠く,最も遠いからこそ,豊かであるということに思い至る(石川)
おそらく,二人は「問い」を常に発し,それを周囲に,そして自分に向けながら実践を積み重ねられてきた。
その問いがぶれなかったのは,きっと下地にある価値観が一貫していたからのように感じる。
その辺りの分析をすることは浅学な自分には荷が重い。
ただ一つだけ要素として共通なのは「本」「読むこと」であることは明確だ。
「本で語る」という言葉が使われている。
つまり「本」を通して自分を表現していることの強靭さ,これは揺るがないだろう。
石川さんが,先の講座で「読み聞かせ」の折に語ったことを反芻してみよう。
『教室からの声を聞け』(多賀一郎,石川晋 黎明書房)
1日に開催した石川さんを招いた研修会に,この本を何冊かお持ちくださっていた。
著者価格(笑)ということもあり,あっという間に事務局周辺で売り切れた。
夏季休暇初日に,小一時間で読了する。
読み終えて,本当はそんなふうに簡単に読める内容ではないだろうな…と少しおかしな感情にとらわれた。
著者の二人は,生まれも育ちも,年齢も校種も違う。そして北海道と関西という勤務してきた場所も大きく異なる。
その二人が「教室からの声」つまり,子どもの声に真摯に耳を向けてきた自らの教職生活を照らし合わせていると言っていいだろう。
お互いに惹かれ合うものがあったからのめぐり合いであり,それを縁にしての対談と共著であるので,当然,共通された考えがあちこちに出てくる。
一言で表せば,教師に「内省」を迫る本と評することができる。
少なくとも,私には,ああと思わされる言葉がいくつもあった。
教育は結果ではない,経過なのだと教えて頂いた(多賀)
子どもたち一人ひとりの人生の物語に思いをはせる余裕もなく,学校の理屈の代弁者として,一様な物語を強要してきたのではなかったか(石川)
学校が理想を語らず,効率や処世だけを語るようになったら,教育は死にます(多賀)
教室というものが,本来「理想の」などという言葉と最も遠く,最も遠いからこそ,豊かであるということに思い至る(石川)
おそらく,二人は「問い」を常に発し,それを周囲に,そして自分に向けながら実践を積み重ねられてきた。
その問いがぶれなかったのは,きっと下地にある価値観が一貫していたからのように感じる。
その辺りの分析をすることは浅学な自分には荷が重い。
ただ一つだけ要素として共通なのは「本」「読むこと」であることは明確だ。
「本で語る」という言葉が使われている。
つまり「本」を通して自分を表現していることの強靭さ,これは揺るがないだろう。
石川さんが,先の講座で「読み聞かせ」の折に語ったことを反芻してみよう。