「2014読了」87冊目 ★★★
『直感力 カリスマの条件』(津本 陽 幻冬舎)
著者が歴史小説家であることはなんとなく知っていた。
しかし、その分野にはまったく疎いので、序を読み初めて「信長」に強い興味を抱いて書き続けていることがわかった。
「カリスマ」といえば、信長は確かに当てはまるのだろうな。
「直感力」といえば、桶狭間の戦いがイメージできるが、歴史的な考証を知れば、そんな単純ではないことがわかる。
かなり綿密に、戦略的に言動を組み立てていることが、そのエピソードから伝わってきた。
ただし、結論は次のようになる。
非日常的状況がカリスマを際立たせる
それを利用できる好奇心、胆力…もっと言えば勝負勘のようなものを身につけているのがカリスマなんだと思う。
信長に似たタイプとしては坂本龍馬が取り上げられていた。納得できる。
また別の例として、北条早雲や毛利元就、そして徳川家康などが挙げられる。
これらは決して派手ではないが、芯を曲げない、見方によってはかなり固執した信念をもっている人物だ。こういうタイプは長生きできそうである。
最近の方?で取り上げられているのは田中角栄と松下幸之助、まさしくカリスマだろう。
とてつもないこれらの大器の生き方に何を学ぶかと言えば、ある意味自分が試されることにもなるが、この本で一番心に残った言葉は、松下幸之助があるインタビューで語ったことだ。
「一歩先だけを見たらいいんやないかということですね。それを三歩も四歩も先を見ようとすると、失敗しまんな。
つまりね、十年先にこうなるという見方も必要ですが、それより来年はこうなるということのほうが大事ですよ。」
「近視眼的」と批判される方もいるのかもしれない。
しかし、このカリスマがいう「一歩先」の重みをどれほど感じられるかが大事なのではないか。
いわば「着実」ということの典型。
今朝見た「ほぼ日」で糸井重里が,こんなことを書いていた。同じだと思った。
「いつできる」は約束できないけれど、
「いまはじめる」は、「いまできる」ことだし、
「夢」とやらを、「できること」に千切って、
「できる順番」にやっていくことならできそうです。
『直感力 カリスマの条件』(津本 陽 幻冬舎)
著者が歴史小説家であることはなんとなく知っていた。
しかし、その分野にはまったく疎いので、序を読み初めて「信長」に強い興味を抱いて書き続けていることがわかった。
「カリスマ」といえば、信長は確かに当てはまるのだろうな。
「直感力」といえば、桶狭間の戦いがイメージできるが、歴史的な考証を知れば、そんな単純ではないことがわかる。
かなり綿密に、戦略的に言動を組み立てていることが、そのエピソードから伝わってきた。
ただし、結論は次のようになる。
非日常的状況がカリスマを際立たせる
それを利用できる好奇心、胆力…もっと言えば勝負勘のようなものを身につけているのがカリスマなんだと思う。
信長に似たタイプとしては坂本龍馬が取り上げられていた。納得できる。
また別の例として、北条早雲や毛利元就、そして徳川家康などが挙げられる。
これらは決して派手ではないが、芯を曲げない、見方によってはかなり固執した信念をもっている人物だ。こういうタイプは長生きできそうである。
最近の方?で取り上げられているのは田中角栄と松下幸之助、まさしくカリスマだろう。
とてつもないこれらの大器の生き方に何を学ぶかと言えば、ある意味自分が試されることにもなるが、この本で一番心に残った言葉は、松下幸之助があるインタビューで語ったことだ。
「一歩先だけを見たらいいんやないかということですね。それを三歩も四歩も先を見ようとすると、失敗しまんな。
つまりね、十年先にこうなるという見方も必要ですが、それより来年はこうなるということのほうが大事ですよ。」
「近視眼的」と批判される方もいるのかもしれない。
しかし、このカリスマがいう「一歩先」の重みをどれほど感じられるかが大事なのではないか。
いわば「着実」ということの典型。
今朝見た「ほぼ日」で糸井重里が,こんなことを書いていた。同じだと思った。
「いつできる」は約束できないけれど、
「いまはじめる」は、「いまできる」ことだし、
「夢」とやらを、「できること」に千切って、
「できる順番」にやっていくことならできそうです。