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底辺から考える「言語活動」

2014年08月08日 | 雑記帳
 8月7日木曜日。
 県国語研の夏季研修会が秋田市の生涯学習センターで開かれ、参加した。

 午前の講演は秋田大学の阿部昇先生。
 先生のお話は、年に2回ほどは聞く機会があると思う。今年もこの後、10月上旬に町内で行われる会で講演をしていただくことになっている。

 今回は参加者の多くが国語研の会員であり、そのあたりも十分に意識されていたように思う。
 「『言語活動』を通して確かで豊かな『言語の力』を育てる」と題された内容は、時間を10分以上もオーバーする熱のこもったものとなった。

 なぜ「言語活動」か。「学習活動」ではいけないのか。言語を使わない学習はないのに…

 という問いかけから始まり、歴史的な経緯も踏まえて、実際の教材研究まで様々な話があったが、改めて「言語活動」という言葉について考える必要を感じた。


 例えば、この2つの「言語活動」は同じととらえていいのか。

 「言語活動の充実」  「単元を貫く言語活動」

 指し示している範囲が違う。
 前者は全教科・領域等に対して、後者は国語科に対して、というように。
 これは根拠となる文書における位置づけも関わってくることだ。

 また、阿部先生が言われるところの「言語活動」はこうだ。
 
 「内言」の「外言」化

 この視点で括ると、本当にたくさんの学習活動と結びつくとは思う。

 そう考えると、講演の最後に触れられた国語科の「単元を貫く言語活動」という言葉を使うときの注意点がわかる。

 つまり、当然のことのようだが「単元を貫く言語活動」とは、「単元を貫く(特定の)言語活動」であり、「特定」が示すのは「言語活動例」であるということである。
 もちろん、文科省の事例集には、以下の文章もきちんと記されている。

 ○なお,内容の(2)に示す言語活動例は例示であるため,これらのすべてを行わなければならないものではなく,それ以外の言語活動を取り上げることも考えられる。

 しかし実践の場では、これがどの程度の運用性を持つものなのか、が大きな問題である。
 同じく事例集には次の文言がある。

 「ここで音読する」「ここで話し合う」といったばらばらの活動ではなく,児童が自ら学び,課題を解決していくための学習過程を明確化し,単元を貫く言語活動を位置付けることが必要である。

 これはけして間違った考えではない。
 (阿部先生は何度この言葉を繰り返されただろうか)
 
 ただ、現実の教室で「自ら学び、課題を解決していくため」にどれほどの時間が割かれるか、また、その学習活動の適時性や効率性がどれほど検討されているのか、といった疑問は大きい。
 
 言語活動は大きく柔軟にとらえていいのではないか。

 肝心なのは、子どもの言語活動の場を保障すること。

 その量や質に目配せしていれば、いろいろな授業が構想できる。

 それは教師にとって楽しいことではないか。
 たった一つの言葉に振り回されているような現状は、教室を元気にするだろうか。