「2014読了」82冊目 ★★
『人生20年説』(森 毅 イースト・プレス)
2年ほど前に読んだ齋藤孝氏の『最強の人生時間術』という新書に,ヒンドゥー教の「四住期」という教えが書かれてあった。
そうした処世術も大切だと感じるようになったのは,いかにも齢をとった証拠か。
その印象を思い起こしつつ,あっ久しぶりだなと森毅氏の著書を手にとったら,そこには相変わらずの森ワールドが広がっていた。
といっても,この本は90年代前半の発刊である。
伊藤雄之助似(笑)の風貌に実にマッチしている緩い語り口なのだが,その実ずばりと本質を突く警句があって,どきりとさせられる。
子育ての不安を感じる母親に「先生の子育てはいかがでしたか」と訊かれて,即座にこう答えたと書かれてある。
「そんなもん,失敗に決まっているやろ。子育ては原理的に失敗するもんや」
痛快である。続けてこう書いてある。
しかし,子育てに失敗も成功もない。うまくいった子育ては,うまくいったこと自体が失敗みたいなものだ。
親や大人のイメージがつくりあげる成功・失敗の概念が揺さぶられる。
この文章にも深く頷く。
理想の集団とは,いつでも気楽に仲間から外れることができて,また気楽に仲間にもどることができる集団だと思う。
確かに,ノリのいい集団,目的に向かってまっしぐらという集団の多くは好感をもってみられる。自分もそういう意識を少なからず持っていることは確かだ。
しかし同時に,いつも「チーム〇〇」が強調される社会全体の流れに危い空気を感じたりする。
個性重視や一人一人の違いと言いながら,その幅が狭くなっている。
外れた者に対する視線が冷たくなっている気がする。
窮屈な構造をつくり上げている自分の方をもうちょっとほぐしてやる必要を本当に感じている。
読書記録として,こんな俗なことばかり綴っている自分でもやはり続けていると,いくらか考えているのかなと思う時がある。
それは,やはりしゃべり続けてきたからなんだと,下の文章を読み思った。
先日読んだ『縦に書け!』とは,正反対のようだが,これもまた真実だろう。
ぼくは子どもの頃から,自分の考えをしっかり持ちなさいとか,自分の考えをはっきり表現して人に伝えなさい,とか言われるのがものすごくいやだった。考えなんて,しゃべっているうちに出てくるもので,はじめからあるものではない。
この本が書かれた当時には「自分探し」などという言葉はなかったはずだ。
しかし,その頃から「本当の自分を知りたい,わかってほしい」といった傾向が強くなっていたようだ。
あとがきが,次のような言葉で締められていて,思わず唸ってしまった。
多くの人たちのネットワークにただよっている「自分」こそが「本当」ではないか。それ以外の,閉じた「自分」というのは幻想ではないか。
『人生20年説』(森 毅 イースト・プレス)
2年ほど前に読んだ齋藤孝氏の『最強の人生時間術』という新書に,ヒンドゥー教の「四住期」という教えが書かれてあった。
そうした処世術も大切だと感じるようになったのは,いかにも齢をとった証拠か。
その印象を思い起こしつつ,あっ久しぶりだなと森毅氏の著書を手にとったら,そこには相変わらずの森ワールドが広がっていた。
といっても,この本は90年代前半の発刊である。
伊藤雄之助似(笑)の風貌に実にマッチしている緩い語り口なのだが,その実ずばりと本質を突く警句があって,どきりとさせられる。
子育ての不安を感じる母親に「先生の子育てはいかがでしたか」と訊かれて,即座にこう答えたと書かれてある。
「そんなもん,失敗に決まっているやろ。子育ては原理的に失敗するもんや」
痛快である。続けてこう書いてある。
しかし,子育てに失敗も成功もない。うまくいった子育ては,うまくいったこと自体が失敗みたいなものだ。
親や大人のイメージがつくりあげる成功・失敗の概念が揺さぶられる。
この文章にも深く頷く。
理想の集団とは,いつでも気楽に仲間から外れることができて,また気楽に仲間にもどることができる集団だと思う。
確かに,ノリのいい集団,目的に向かってまっしぐらという集団の多くは好感をもってみられる。自分もそういう意識を少なからず持っていることは確かだ。
しかし同時に,いつも「チーム〇〇」が強調される社会全体の流れに危い空気を感じたりする。
個性重視や一人一人の違いと言いながら,その幅が狭くなっている。
外れた者に対する視線が冷たくなっている気がする。
窮屈な構造をつくり上げている自分の方をもうちょっとほぐしてやる必要を本当に感じている。
読書記録として,こんな俗なことばかり綴っている自分でもやはり続けていると,いくらか考えているのかなと思う時がある。
それは,やはりしゃべり続けてきたからなんだと,下の文章を読み思った。
先日読んだ『縦に書け!』とは,正反対のようだが,これもまた真実だろう。
ぼくは子どもの頃から,自分の考えをしっかり持ちなさいとか,自分の考えをはっきり表現して人に伝えなさい,とか言われるのがものすごくいやだった。考えなんて,しゃべっているうちに出てくるもので,はじめからあるものではない。
この本が書かれた当時には「自分探し」などという言葉はなかったはずだ。
しかし,その頃から「本当の自分を知りたい,わかってほしい」といった傾向が強くなっていたようだ。
あとがきが,次のような言葉で締められていて,思わず唸ってしまった。
多くの人たちのネットワークにただよっている「自分」こそが「本当」ではないか。それ以外の,閉じた「自分」というのは幻想ではないか。