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消滅可能性のなかにいる自覚

2014年10月02日 | 読書
 「2014読了」102冊目 ★★
 
 『地方消滅』(増田寛也 中公新書)


 五月だったろうか。「消滅可能性都市」というデータの報道がなされた時は、さすがに心に留まった。
 その中でも不安の大きい県として本県が取り上げられた。
 2040年にはキーポイントとなる「若年女性人口率」の減少がマイナス50パーセントを超えないのは、わずかに一村のみ。県都である秋田市でさえ、マイナス54パーセントであるという。
 人口減少率が一番高い県であることは承知していたが、その内実を知れば知るほど、重い気持ちになっていくことは否めない。

 さて、この新書を読み、知識として得たいくつかのことがある。
 例えば、今出生率を上げてもそれが短期間で人口減を鈍化させることにはならないこと。
 例えば、将来的には人口が集中する東京が超高齢化都市になるということ。
 少し落ち着いて考えれば気づくことだったが、やはり日常的な思考や世間話程度では、ぼっとその予測は出てこなかった。

 秋田県で唯一「若年女性人口率」がマイナス50パーセントにならない(というより、データはプラスなのだ)大潟村が創立されて50周年を迎えたと、昨日地元紙では大きく報道された。
 大型農業を目指した取り組みは順調とは言えなかったが、今ふりかえれば「成功」の芽を育んでいた。
 それは単なる大規模な稲作の設定という政治主導によって得られたものではないと思う。
 なぜなら、生産者米価が極端に下がった今年であっても、様々な付加によって昨年並みの収入が得られる見通しがあるのだという。

 これは、入植した人々をはじめ、そこに携わっていた人たちが対立したり融合したりしながら築き上げた結果とも言えるのだ。

 この新書の中にも、拠点都市構想をはじめ改善策はいくつか提案されている。国も少しは本腰を入れてくるだろう(リップサービスではないかと思うふしもあるのだが)。
 しかし、構想がどのようなものであれ、そこに当事者意識がなければいけない。それはきっと対立をしながら取捨選択していく姿に近い。その覚悟が問われている。

 策を急がなければならないと同時に、個⇔地域というやりとりの仕方を抜本的に見直す必要を感じる。教育の場としての貢献は何か。