すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

自分と一体化する記憶の条件

2014年10月07日 | 読書
 「2014読了」103冊目★★
 
 『さようなら,僕のスウィニー』(大崎善生 ポプラ文庫)


 久々の大崎本。
 大崎にしては珍しい短編集である。
 ある広告に「新境地」と書かれてあった。しかし私にはそうは見えなかった。

 自伝的とは言えないかもしれないが,自身の経験が色濃く出されているし,人物の思考回路についても今までの作品と似通っている。
 まあ自分にそれが馴染むから読み続けているわけで,今回もストーリーはどうということもないが,すっと入り込んできた。

 単行本のときは『Railway Stories』という題名であった。つまり全てに鉄道が登場してくる,電車に乗っているシーンがある。
 それは,回想を散りばめて構成していく作家にとってはある意味では都合のいい設定なのかもしれない。


 表題作の「さようなら,僕のスウィニー」は,少し奇抜なストーリーではある。おそらくそれがこの中では一番大事な作品なのだろう。
 スウィニーといういわば正体不明な少女との出会いと別れを描いているが,ここにはたくさんの象徴性があると感じた。
 それは,自由と制約,常識と真理…一個の人間には抱えきれない諸々のことを一気に取り上げている。
 そしてそれらは解決できるものではないが,いつか収めなければならない哀しみ…そんな雰囲気のある作品だ。

 「確かな空と不確かな海」という作品は,亡き父との邂逅といった趣きではあるが,内容の多くに描かれる「煙草をやめた」様子が実に面白い。
 これも実際,大崎の体験が基になっている。現実そのままなはずだと思ったのは,確かそのころ,大崎のエッセイを連載で読んでいたからだ。


 さて,こんな一節がある。

 煙草が煙草の記憶として僕の中に収まったように,父は父の記憶として僕と一体化した。

 禁煙を乗り越えたことと,亡父との思い出の消化を結びつけたような文章だ。

 ここには「苦しみ抜くことによって自分と一体化する記憶」というごくシンプルな結論が見つけられる。