すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

編み込まれた頑丈な言葉

2014年10月19日 | 読書
 2014読了」108冊目 ★★★
 
 『母のいのち 子のいのち』(東井義男  探究社)


 多賀一郎先生のブログで紹介があった本である。
 手にした本は新装版で平成13年のものだが、実際に発刊されたのは昭和54年。自分が教師に任用された年である。
 回想録的な部分もあり、昭和30年代から50年代にかけての子どもの作文や、東井先生の自らの指導のふりかえりなどが、短いエッセイ風に綴られている。

 教育は時代的な背景を抜きには語れないが、本質として揺らがない芯のようなものがこの著には多く詰まっている。
 それを表している文章の印象は、質素で目立たず、ざらざらした肌触りのようにも感じる。
 しかし、きっちりと編みこまれた頑丈な布地のように、どこまでもいつまでも身につけていられる安心感がある。

 たとえば日照りの夏に、灌水した田の稲とそうできなかった田の稲を比べて、できなかった稲の方が豊作だったことを例に、次のように結論づけている。

 灌水した方は、途中から根が地表に向かって伸びており、灌水できなかったところの稲は、びっくりする程地中に深い根をおろしていたといいます。やはり根のあり方が地上の世界のあり方を決定してしまうのです。


 不用意な支援や形式を整えようとする指導が、子どもの何かを損なっているかもしれないと考えてみること。
 「見える化」「可視化」「顕在化」…といった言葉の重要性は確かに認めながら、そこにとらわれる危険性を常に意識すること。
 時々、忘れそうになるそれらのことを噛みしめたい。

 この本の中でも、親の「愛」、特に母親が子どもの心を占める存在の大きさが強調されている。
 現在の世の中でも、例外はあるにしろ、母親の多くは子どもに愛情を注いでいるだろう。
 しかし、だからこそ、私たちは次の言葉を現実に即して語りかけていくべきだろう。

 「愛情」は「知恵」と一つになって、ほんとうの「愛情」に育つもののようです。


 「知恵」を働かせるには、様々な感情をコントロールできなければいけない。
 その拠り所になる、とても大事な文章がある。
 「教育とは」と語られる文章と多く出会ったが、これは深く心に染みいる一節となった。
 大人がわが身を振り返ることでもあるし、子どもの今を深く見つめる大事な視点でもある。

 「教育」というのは、人間を「欲望の僕(しもべ)」にではなく「欲望の主人公」に育てることだといっていいのではないでしょうか。


 主人公に育てるために、ハンドルやブレーキをうまく使いこなせるようにするのが「知恵」だろう。