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半端なつくりにダメだし

2014年10月26日 | 雑記帳
 録っておいたドラマを観ていて気になったことがある。昭和39年の東京オリンピック招致に関わる話で,舞台は30年代前半が主である。そこで使われた登場人物の言葉に「いけます」があった。「うまくいく」という意味で使われていたが,その時代でも使われたのか。まだ「できる」「やれる」主体があったような…


 もう一つ「ダメだし」もあった。これは調べるとそもそも演劇用語らしい。今だとかなりポピュラーと言えるだろう。しかし,その頃には合わない気がした。演劇に関わっては昔からあったとしても,一般社会でこうした言葉が出回ってきたのは,個別化が進み対人関係に攻撃性が加味された頃じゃないかと想像する。


 これらは流行語ではないだろうが,やはりどこか時代を映しているように思う。ごく普通に使われているとすれば,そこにある感覚,感情が人の心に根づいたとも言えるだろう。「いける」と「できる」に明確な違いなどないが,きっと「いける」がやや客観的,一歩退いた表現に思える。「ダメだし」は評価性が強い。


 昔のドラマに現代性を感じる言葉が取り入れられるのは,ある面で仕方がない。結局は自分も今の目で見ているわけだから。しかし,だからこそと言うべきか,慎重にとも思う。もちろん新ドラマ「信長協奏曲」ぐらい支離滅裂?であれば,それはそれで別のレベルと割り切られる。結局,半端なつくりにはダメだしだ。