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「言えない」から「言わない」へ

2014年10月15日 | 読書
 「2014読了」107冊目 ★★★
 
 『言えないコトバ』(益田ミリ  集英社文庫)

 こういう本に出会うと心がくすぐられる。
 表紙絵にある人物(筆者だろう)の吹き出しにはこうある。

 「なんちゃって」ってまだ使っていいのか?


 筆者の描くイラストの日常感あふれるタッチを好む人は結構いるのではないか。
 それは絵そのものと同時に、当然ながら発想に共感を持てるからだろう。

 「言えないコトバ」として取り上げられたのは「おひや」を初めとして39項目、その他にもあるから50は越えているだろう。
 半数以上いや8割程度は自分も同じような感覚を持っていた。

 そのなかで、自分が抱いていたけれど正体がつかめなかった感覚を言語化してもらったと思ったいくつかの言葉がある。

 おもてなし

 この著は2012年であるが、筆者はすでにこの言葉に違和感を唱えていた。

 昨年、あのオリンピック開催決定で一躍「時のコトバ」になり、どこかの会で挨拶に使う人もいた。しかし私はどうも気に入らなかった。
 その理由はぼんやりしていたが、この本のなかに料理を例にこう書かれてあり、ああそうだと悟った。

 さあ、どうぞわたしが作ったものを食べてくださいってアピールすることが、気恥ずかしい


 アピールに使われる「おもてなし」とは、本当の意味なのか。


 「さばさば」「足し算・引き算(という算数コトバ)」などの項も考えさせられた。
 なかでも、この言葉のもつ心のあり方は、なるほどと納得させられた。

 つかえない


 筆者はこう書く。

 以前は、「気がきかない人」とか「段取りの悪い人」とか「要領の悪い人」くらいで済んでいた感情なのに、それが「つかえない人」という表現に切り替わったとたん、そこにはひんやりとした暗さが宿る


 この暗さの正体は、差別や独善に近いだろう。
 他者へのあっさりした評価が、自分にとって「つかえる」か「つかえない」かという極めて利己的で不遜な表現にすり変わってしまった社会。

 自分も冗談交じりに口に出したことがあったかもしれない。
 しかし、それは心が巣食われていた証拠か。
 「言えない」から「言わない」にはっきりシフトさせるコトバだ。

 もう一つ、興味深いコトバがあったが、次回に。