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学習用語を教えるとき

2014年10月11日 | 読書
 「2014読了」105冊目 ★★★
 
 『「学習用語」の実践原理(理論編)』(野口芳宏  「鍛える国語教室」研究会)


 9月の花巻市での研究会の折に買い求めたものだ。
 A5版138頁の冊子で、印刷製本が「月形刑務所作業部門」とある。
 その経緯については野口先生が、研究会の席上でお話されていた。実質を第一とするいかにも先生らしいご発想である。
 印刷が薄い部分もいくらかあるが、特に気にする方ではないし、何より安価で第一級の考えに触れられることを喜びたい。


 さて、学習用語に対するお考えは何度となく聴いているし、国語科の学習用語指導の普及、向上に関しては大いに進めるべきと強く共感する。

 そのうえで、自分の中で消化しきれない、考えのまとまらない点がいくつかあり、この著を読んでも浮かび上がってきた。
 それは大きく二つある。

 一つは「学習用語」をどの程度取り上げるのか、ということである。

 第2回全国大会のパネルディスカッションの記録がある。その中で富樫いずみ氏はこう問いかける。

 「学習用語」をどのくらい出せばいいか迷っています。野口先生は「ゲリラ的に」、とおつしゃいましたが、自覚的、目的的に出されていた方もいらっしゃると思います。


 この発言に関して、はっきりとした見解は参加者のどなたからも語られないようだ。
 野口先生のお考えは、その場に合うものを、できるだけ多くと思っていたが、一方でこうも書いておられる。
 第六章で、漢字の筆順を一つの例として、こんなふうに語られているのだ。

 雑多なことをいっぱい教えるのではなく、原則の厳選が大事なのである。原理的用語、基本的用語の授業が大事である。雑多な用語、例外的な用語は教えない方が良いくらいだ。


 当然、先生の中では判断ができていることだろうが、正直私はまだほんやりしたままだ。

 もう一点は「学習用語」を扱った授業づくりという点である。

 例えば、この頃「ゴールを意識した授業」のような言われ方で、導入における課題やめあての重要性がよく強調される。
 学習用語そのものが授業のねらいにならない場合もあるだろうから一概には言えないが、用語指導の基本は次のように書かれてある。

 今日は何を学ぶのかな、と期待させ、わくわくさせ、国語授業での学びを実感させ乍ら、さりげなく教えるのが「学習用語」指導である。


 さらにこうも書かれている。

 必要なときに、必然的に、さりげなく「学習用語」を教えるのが効果的である。


 個人的には様々な学習過程があるべきで、けして固定的にとらえてはいない。
 しかし、用語の出すポイントやまとめ方について、しっかりしたパターンを築くことも、この先必要だろうし、その検討なしにはこれ以上進まない気がする。
 (一つの私案めいたことは9月19日に書いた

 初めて研究主任になった時、年間指導計画づくりがあって、算数だけでなく国語でも教えたい用語をその表の中に入れ込んだことを覚えている。
 あれから三十年近い年月が経つが、実際その点についてはあまり変わってない、変えられなかったことを痛感する。