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立春の日のキニナルキ

2015年02月04日 | 雑記帳
 立春。
 ここ数日、文庫本の補充をしていないので、風呂場読書と思って何気なく書棚からとった小冊子。ちょっと刺激してくれる言葉がちらほらありまして…。


 ぼくらは誰もがスティグマを持っている。(永江 朗)

 中山七里著『月光のスティグマ』の書評記事より。
 スティグマの意味は「恥辱や汚名、負の烙印」ということだが、広辞苑の解説がこの言葉を印象づける。
社会における多数者の側が、自分たちとは異なる特徴を持つ個人や集団に押しつける否定的な評価。身体・性別・人種に関わるものなど



 「私は過去と未来を重ねて描こうと思ったのです。それができるのは、詩人と絵描きだけです」(ドリアン助川)

 ドリアンの連載小説「ニューヨーク・サン・ソウル」で、主人公の知り合いである韓国人ジンが語る言葉。
 詩も絵も「今」を描く、書くことによって成り立つ創作だと思うが、その「今」とは「過去」と「未来」の連続でしかありえないことも事実だ。



 美意識が進化するものではないことは、これ一事を見てもわかる(森まゆみ)

 「子規の音」と題して、子規が旅した場所を巡って歩きながら、作品とともにたどる文章。
 この一節は松島の福浦島への渡りについて述べている。
 今見る風景をそのまま受け取ってしまいがちな観光客(自分)は、子規の頃には小舟を仕立てていったことに想いを巡らす心が欲しい。



 未来は選挙なんかで決まらない。皆が、どんなふうにお金を使うかで決まる(木皿泉)

 納得の一言である。
 一つ。自分はどんな未来を作ろうとしてお金を使うのか。
 二つ。その政治家は、貴方にどんなふうにお金を使わせようとしているのか。