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自ら助くる者の行方

2015年02月23日 | 読書
 【2015読了】24冊目 ★★★
 『「自己啓発病」社会』(宮崎 学  祥伝社新書)


 「天は自ら助くる者を助く」という言葉を知ったのはいつ頃だったろうか。
 誰の言葉か、という意識はあまりなかった。
 この新書のなかで多く割いて書かれてある次の著書が出典であることを知った。

 『self-help(自助論)』(サミュエル・スマイルズ  中村正直訳~『西国立志編』より~)

 今多く読まれている『自助論』は抄訳であり、全訳である『西国立志編』の中の
言葉であるそうだ。
 そして現在の日本では、抄訳『自助論』の普及によって「ゆがめられた自助論讃美」となっているという指摘は、この新書で著者が訴えたいことの骨格をなしている。


 自分自身も自己開発、自己啓発には興味があったし、ビジネスマンほどではないが、その手の書籍も読んでいる。
 その興味はもちろん自分の意志であったが、そこへ誘導した社会環境、政治等の影響を見過ごすことはできない。
 その意味で、今世紀初めの小泉政権誕生を一つのピークとして、この国が変節していく様子を詳らかにしてくれる一冊という見方もできる。

 
 「自己啓発病」とはよく名づけたものだ。
 「何のための自己啓発か」という問いに対して応答しようとすれば、必ず利己かどうかの見極めを要することになる。そしてその発想はどこにつながっていくか。
 これから私達の社会、世の中はどんなふうになるのだろう…といった予測なしには語られないことだし、それが真に望むことなのか、という深い問いが姿を表す。

 第三章の「自助と互助と共助」は歴史的な解釈も入れながら、真の「自助」とは何かを考えさせられる。
 自助や互助は、民主主義と切り離して考えられないが、「自己統治」という観点でこの国を考えてみると、かなりお粗末なことは自分でもわかる。
 次の文章は端的にこの国の「民主主義」をとらえているはずだ。

 国民は「国はなんとかしてほしい」とお願いするだけの「要望主義」になってしまっているのであり、これに対して政府は「なんとかするから、全部俺たちにまかせるといってくれ」という「請負主義」になってしまっているのが実情なのだ。

 この発想がいたる段階、場所で交わされている傾向を否定できない。

 第4章「『勤勉』と『成功』の終わり」にも、歴史的経緯があり、実に興味深かった。
 もはや勤勉が成功に結びつかないことを多くの人が知ってしまったし、その事実の地平に私たちはどう立っているのだろうか。