すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

何でも日本食にしてしまう

2015年02月14日 | 雑記帳
 昔からの日本の食べものと思っているものも、
 なかなかそういうものでもなく、ある時期から広まって、
 だんだんと「あたりまえ」になってきたのだとわかる。

  (ほぼ日の「今日のダーリン」2/12より)

 トマト、ピーマン、キウイ…そして牛肉や豚肉のことを取り上げて、そんなふうに書いていた。
 当然のことではあるが、なかなか指摘されないと気づかないようなことでもある。

 ここで、和食そして日本食という呼び名も、ああ言葉と似ているなあと気づいた。
 一口に和食といっても、様々な食材や調理法は結局どこかから伝わってきたものに違いない。
 そして料理のジャンルはあるにしろ、それを包括してしまう呼び名も確かにあるようだ。

 歴史的なことを背負っていることはある程度わかるが、次の言い方にもひどく納得がいく。


 大衆的な「和食」ということなら、
 すき焼きやらとんかつ、カレーやら餃子やらだとか、
 スパゲティナポリタンくらいまで、
 まるごとみんな入れてもいいのではなかろうか。
 外国のどこかで、それが食べられないという意味では、
 上記のいろいろは、みんな「日本食」だ。



 ここにも全てを飲み込んでしまうような日本の姿がある。
 改めてすごいことなんだと感じる。

 「今日のダーリン」はこんなふうに文章を結んでいる。

 日本の食文化は、ものすごく自由で貪欲に輸入してきた。
 この感じ、実は食文化以外でも、同じかもしれない。
 そう考えると、日本って、すっごくおもしろいよねぇ。



 私達日本人の思考の中には、実は非常に柔軟な部分があるはずと元気づけられる気がした。