すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

会議の一言、頭に浮かんで

2015年02月27日 | 雑記帳
 ある会議で挨拶に立たれた方が、「校長は山の十合目にいる」とおっしゃった。この喩えはつまり頂上までの道のりを踏破し、全体を見渡せる位置にいるのだと言いたいのだろう。シンプルにそう捉えればいいものを、へそ曲がりはこう考える。「山も様々」「高い峰を目指して飛ぶ人がいる」「雲海で下が見えない状況だ」


 某会議で今春退職なさる方が挨拶された。「国語教育についてもっと語り合いたかったが…」。その情熱や方向には感心するが、「挨拶」という言語活動の目的や場や対象を考えた時、語られた内容や設定が的確だとは思われなかった。自分もそういう愚を重ねていないか。何を学んできたか。学ばせようとしているのか。


 「いくら話し合っても平行線。決をとった方がいい」…ある会合で、委員の一人が口を開いた。多くの頷きも見られた。そういうことはある。議論を尽くしても解決できないこと、感情的なこと、どうしても譲れない事情…抱えていることを存分に出し合えばいい。複数回の会を経てこそ、この言葉は的確に響く。


 披露された一つのエピソード…「目の前まで顔が迫ってきたので、断れませんでした」。あることを依頼する人が、迫力をもってせまってきたのでつい…と参加者の笑いを誘った。性格がどうかという前に、検討内容が何かという前に、伝わるのはエネルギーという我が信条の一つに合致する例。身体を使う好例である。